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2005年03月11日(金)

 音もなく雨が降り出す。少しずつ薄れてゆく闇。夜は終わりを告げ、新しい朝が始まる。けれど空一面に広がった雨雲は切れることなく、何処までも続いている。じぃっと膝を抱き、開け放した窓辺にうずくまる。耳を澄まして、耳を澄まして、じっとしていると、微かに音が零れて来る。しゃやしゃやしゃや。雨の音。春の雨。しゃやしゃやしゃや。何処までもしなやかに響く。
 時間が経つにつれ、雨はしっとりと街中を包む。晴れることのない空を見上げると、霧のような雨のシャワーが私を濡らす。
 何もする気力がなくて、娘を送り出した後の部屋にひとりへたり込む。足の裏を指で触ってみるとあっけなく痛みが走る。痛いところをゆっくり揉む。時間をかけて揉むのだが、全然解れる気配がない。じきに指の方が先に痛くなってきてしまい、私は足を投げ出す。あれと思って腰の辺りを触ると、そこにも痛みがあるのを見つける。足と腰と背中と。触っておかしいところに次々薬を貼る。自分の体の痛みに鈍感なのは分かっているけれども、こんなにがたがたになっていたのかと我ながら呆れてしまう。主治医にさんざん指摘されていることなのに、いまだに私は自分の体の痛みが分からない。体の痛みを感じ取るアンテナというものがどうも狂っている。へたり込むくらいになってようやく、おかしいなぁと触ってみるような具合じゃぁどうしようもないのかもしれない。自分に呆れ苦笑しつつ、薬を貼った箇所を、その上から撫でてみる。

 娘は時々、寝る直前に私を呼んで横にさせ、歌を歌ってくれとせがむ。昨夜もそんな具合だった。歌う歌は適当に私が選び、私が好きに歌う。大きな古時計、花、この道、おぼろ月夜、里の秋、小さい秋みつけた、砂山、夕焼け小焼け、紅葉…。考えてみると、子守唄らしい歌はあまり私は歌っていない。五木の子守唄は母が歌ってくれた覚えのある数少ない歌のひとつで、だから歌うことはできるのだけれども、何故だか私は歌っていると悲しくなる。だからあまり歌わない。結局、自分の好きな童謡ばかりになる。
 娘が眠るまで歌い続けるのだから、だんだん歌える歌が少なくなって来る。一番だけなら覚えていても、二番三番を続けて歌えない歌が多くなる。仕方がないから一番を二回三回と続けて歌うと、娘がすかさず「さっき歌ったよ」と突っ込んでくる。だから私は、適当に頭の中で歌詞を創作し、歌い続ける。
 歌いながら、布団の横にあるCDやビデオの棚をぼんやり見上げる。そういえば、思春期の頃はここにある歌たちをさんざん歌った。歌詞なんて簡単に覚えてしまえたから、迷いなく歌っていた。でも。今これらの棚の中の歌を歌おうと思っても、何も思い出せない。そんな歌があったなぁというくらいなら思い出せるけれども、それを歌おうと思っても、もう私には歌えない。なのに、どうして童謡の類はこんなにも次々思い出すのだろう。そりゃぁ一番しか覚えていないというものばかりといえばそうだけれども、それでも、娘に歌ってとせがまれて歌う歌は、いつだって童謡だ。
 娘の瞼が半分、閉じかけている。私は歌を繋ぐ。大きな古時計からもう一度、繰り返す。眠りに入りかけた娘はもう、同じ歌だよとは突っ込んでこない。うとうとしながら歌を聴いている。だから私は、彼女の頭を撫でながら、もう一度覚えている歌を歌い繋ぐ。
 多分。歌が体の中に染み込んでいるのだろうなと思う。誰の中にもあるだろう旋律、誰の中にでも覚えがあるだろう歌詞の一シーン。自分のことを限定して歌った歌ではないのだけれども、まるで呼吸するように、歌が体に染み込んでいる。だから、幾つになっても思い出すのは、童謡なんだろうと思う。
 やがて娘は静かな寝息を立て始める。私はそっと彼女から体を離し、布団の外に出る。窓を半分だけ開けて、私はベランダに出る。そして、闇の中に沈んでいる薔薇の新芽にそっと指で触れる。やわらかい芽。その芽と同じくらいしなやかな雨。そして雨の後に広がるのは輪郭を暈すうっすらとした霧。春はきっともう、すぐそこまで来ている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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