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2009年12月01日(火)

マリリン・モンローの、これまでにないほど濃い色をしたその蕾がまっすぐに天を向いている。私は空を見上げる。今日は晴れる。そしてこれなら蕾は今日開くだろう。そんな予感がする。いつものクリーム色ではない、薄い橙色のその蕾。いつもよりひとまわりも大きいその蕾。どんなふうに開くのだろう。どきどきして仕方がない。
いつものようにミミエデンの病葉を摘む。でも今日は二枚きり。一段落ついたのだろうか。これでこのまま軽やかな天気が続いてくれれば。私は祈る。隣のベビーロマンティカの蕾やホワイトクリスマスの蕾がそれぞれ膨らんできていることを確かめ、そうして私は髪を梳く。空気が冷たい。本当に冷たい。全身凍ってしまいそうだ。
ミルクがいつものようにがしっと籠に齧りついている。彼女は昨日また娘の太腿で粗相をした。彼女が粗相をしたことを私に知られまいと娘はティッシュペーパーで必死に隠れて拭いていたが、そんなもの、一緒の部屋にいればすぐに気づくというもの。でも娘の努力も汲んでやらねばと、私は知らない振りをした。今朝はココアも起きている。なんだか忙しそうに回し車を回したり、小屋の辺りの木屑を持ち上げたりしている。
私は彼女らをちらちら見やりながらお湯を沸かす。一番に何を飲もう。やっぱりハーブティ。そう決めて、カップに茶葉を入れる。去年のクリスマス、友人が送ってくれたそのカップは、茶葉を入れる場所が予めあるカップで。だからとても便利。この時期重宝する一品。
朝一番に電話がかかってくる。早起きの友人から。これから数日の予定などをちょこちょこと話す。じゃぁいってきます。いってらっしゃい。そう言って電話は切れる。

いつもの場所で友人を待つ。友人は寒い寒いと言って現われる。傘を持ってこなかったのだけれど大丈夫かしら。あら、私は自転車で来ちゃったわよ。そう言い互いに笑い合う。数日後、誕生日を迎える友人。考えてみれば私たちは同い年だ。そう、ちょうど半年違いの同い年。来年はケーキを買って年齢の数だけ蝋燭を立ててあげるよと私は彼女をからかう。
少し疲れた顔をしている友人だった。疲れたというか緩んだというか。どちらでもあるのだろう。互いに母子家庭同士、でもその環境は全く異なる。その中で彼女がどんな荷物を背負っているのか、私は想像するしかできない。
ようやく愛情を解放することができるようになったと言う友人。最近はだから子供たちといることが楽しくて仕方がないと話す。まるで蜜月のようだとも。もうだいぶ大きい子供たちだ。巣立つまであと僅かな時間。大切に過ごしたいと彼女は話す。
私の娘はまだ九つ。それでも私は想像する。我が娘が巣立つ時を。彼女が巣立った後、私にはどのくらいの時間が残されるのだろう。その時間を私はどんなふうに過ごすのだろう。

救急外来がない医者にかかっている人は、こんな時一体どうしているんだろうと友人に問われて考える。私はいつも救急外来などない病院だった。それをどうやって越えてきたんだったか。考えてもうまく浮かばない。思い出せない。
ただ腕を切るしかなかった。薬を飲むしかなかった。ひとりばったりと倒れてやり過ごすしかなかった。同時に私には写真があった。もうどうにもならない時、私は写真を焼いた。これでもかというほど次々焼いて過ごした。気づけば夜は朝になり、夜明けの光が部屋に漏れており。私はほっとするのだった。そういうことの繰り返しだった。
写真があったから。私は越えてこれたのかもしれない。多分、きっと。
小さな小さなネガを震える指でセットする。震えながらピントを合わせ、あとは勢いだった。液の中に漬けた印画紙にほんのり浮かび上がってくる像は、もう何でもよかった。というより、それが何であるかはもはやその時の私には認識できず。ただ、焼いた。焼きまくった。その動作を繰り返した。息切れするほどに。
部屋には何十枚もの濡れた印画紙が垂れ下がっており。そこに朝陽が差し込むのだった。いつでも。長い夜はそうして終わりを告げ。新しい朝がやって来た。
血だらけの腕で為したこともあった。腕を切るしかなくて、でもこれ以上切りたくなくて、だから必死になって写真を焼いた。焼いて焼いて、焼いて焼いて、そうして神経が擦り切れ、千切れそうになる頃、朝が来た。
救急外来という避難場所は私にはなかった。代わりに、写真という避難場所があった。ただ、それだけだ。もしそれさえもなかったら。
それさえもなかったらなど、今、考えることは、できない。

朝のニュースで、つけ睫毛の話題が取り上げられている。それを見ながら娘が、気持ち悪いよぉと唸る。その様子を見ながら私が、もしあなたがこんなふうになったら、同じことやってあげるよ、と言ってみる。え? 同じこと? うん、ママもつけ睫毛たくさんつけるの。どう? 気持ち悪いからやめて。ははははは。とりあえず私の睫毛、ふさふさしてるから、これをカールするくらいで十分だよ。そういうふうに産んだの、ママだからね。わははははは。
それにしても。すごい。幾重にも重ねてつけるというつけ睫毛。あんなことを毎日毎朝繰り返している女子のエネルギーというのは、一体何処から出てくるんだろう。私には到底真似できない。決して真似しようとは思わないけれども、それでもそのエネルギーには頭が下がる。

アメリカン・ブルーとラヴェンダー、それぞれ挿したものを指で弾いてみる。ぴんっ。私の指は弾き返される。大丈夫、これなら根がまた食われているということはない。私は安心する。ゆっくりではあるけれども、少しずつではあるけれども、新芽を出して、育ってゆく枝葉。このままみんな元気に育ったら、半分を母に分ける約束になっている。どうか無事に育って欲しい。そしてこれらを手渡す頃も、母が元気であってほしい。

ママ、今度の週末ね、私、賞状貰えるんだよ。そうなの? うん、テストで頑張ったから。よかったじゃない。えへへ。だから御褒美ちょうだい! あ。くれないの? えぇっと、お金、今ないから、今度。えー。今度あなたが欲しいって言ってた本探して買ってあげるから。約束だよ。分かった、約束。
じゃぁね、じゃぁね、言い合って別れる。私は自転車に乗って、いつもと違う道を通ってみる。あえて公園の中を。池の側に立って驚く。紅葉だ。見事な紅葉。まるで脈打つ音が聞こえてきそうな紅色。私はしばしうっとりとそこに佇む。
桜の葉はもう大半が散り落ち、道端に山になっている。その上を鳩がかしゃかしゃという音を立てて歩く。私は鳩を驚かさないようにそっと自転車を動かす。
銀杏の黄金色は少しずつ少しずつ小さくなっており。海から伸びる陽光が雨上がりの黄金色をきらきらと照らす。もうこの樹たちの季節も終わりなんだ。じきに裸ん坊になって、あとは春を待つばかりになる。
自転車を走らせながら、数少なくなった空き地を見やる。今薄が揺れているけれど、多分来年には、この景色はなくなっているんだろう。この埋立地から、薄の姿は無くなるに違いない。次々に来る開発の波に呑まれ、薄はいなくなる。そう思ったら、私は自転車を止め、薄に手を伸ばしていた。柔らかいその穂。昔これで人形を作って遊んだ。今そういうことをする子供は、この町にいるんだろうか。
地平に漂っていた雲が少しずつ薄れ。すかんと抜けた空が広がり始める。大丈夫、これなら晴れる。彼女の上の空も、彼女の上の空も、きっと晴れてる。
私は再び自転車を走らせる。海へ向かって。真っ直ぐに。多分今日は濃紺の波を見ることができるだろう。そんな予感がする。

今鴎が、啼き声を上げながら空を渡る。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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