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2009年11月25日(水)

静かな雨が降っている。耳を澄ましても降り落ちる雨音が響いてこないほどにしんしんと雨が降っている。ただ空気がしっとりと濡れ、辺りが雨の気配に満ちているばかりだ。そして昨日よりずっとあたたかい。起き上がった時の肌の感じが全く違う。
五時に起こして、と娘から言われていた。その通り五時に声を掛ける。びくともしない。もう一度声を掛ける。まだだめ。仕方なく脱いだ寝巻きを彼女の顔にぽいっと投げてみる。もぞもぞと動く。でもまだ起きない。最後はミルクに登場してもらう。まだ眠っているミルクに謝りながら、ミルクを娘のおでこに乗せる。ひゃぁっ。ようやく起きた。
何をしたくてそんなに早く起きるのかと思いきや、私の漫画を読みたかったらしい。といっても本当にもう古い漫画だ。スワンというタイトルのそれは、もうすっかり日に焼けて、茶色く色づいている。二十数巻あるそれにこの間から手をつけたらしい。読み出したら止まらないと娘が言う。本当にあの話を理解して読んでいるんだろうか、私は首を傾げる。ちょっと娘には早いんじゃなかろうか。そんな気がするのだが。
私が実家から持って出た漫画はそのスワンとあと数種類。数えるほどだ。小学生の時漫画を買うと、父に窓から棄てられた。土曜日学校から帰ってくると、二階の私の部屋の窓から棄てたのだろう、庭に漫画が散乱していたものだった。泥だらけになったそれを、私は丁寧に拾った。悔しくて哀しくてたまらなかった。でも、一度棄てられたものを家に持って入ることは厳禁だった。仕方なく裏のゴミ箱に棄てに行く。なんで本を棄てなければならないのだろうといつも思った。漫画だって一冊の本じゃないか、と思っていた。
そうしているうちに、私は古本屋に通うことを覚え、本は漫画より文庫本や線の引かれた新刊になっていった。少ない小遣いを遣り繰りして、そうやって本を集めた。
離婚した後、にっちもさっちもいかなくなった時、本を売って生活を何とか支えた。大事な美術本をそうやって何冊も売ってしまった。今思っても惜しい本が何冊もある。でももう遅い。一度手放した本はそう易々と戻ってきてはくれない。

娘が勉強するその後ろで、私も机を広げノートを整理する。ノートを整理しながら頭の中も整理する。自己一致、無条件の受容、共感、転移、逆転移、様々なことをそういえば先週学んだのだなぁとノートを整理しながら思う。でも頭に残っているのはこれっぽっち。まったくもっていただけない。たった二時間の授業なのに、その二時間ずっと集中していることが私にはまだできない。自分で選んで勉強していることだというのに、集中力が途切れてしまう。
ママ、まだ終わらないの? 娘に言われ、そっちはどうなの?と尋ねる。あとは国語だけだよ。あらまぁ、じゃぁ採点しなくちゃ。算数は自分でできるから社会丸つけて。分かった。ねぇママ、桃の生産地って山梨でいいんだよね。そうだと思うんだけど。桃と葡萄と、どっちが一番なの? うーん、調べた? うん。地図に記入しないといけないんだよね。どれ、あ、これ、ここに書いてあるじゃない。あれ、ほんとだ。
ノートを記しながら、私はこれをどれだけ実践できるんだろうと考える。身近なところから考えて、まず娘だが、果たして私は娘の話をどれだけちゃんと聴いてやっているだろう。はなはだ疑問だ。恥ずかしいが。
ねぇママ、その図、何? あぁこれはね、誰かの話を聴く時に、できれば心の中をこうやって空っぽにしてその人の話をそのまま受け止めてあげようねってことなんだよ。心を空っぽになんてできないよ。ははは。そうだよねぇ、うんうん。心空っぽになったら何にも考えられないじゃん。うーん、なんていうのかなぁ、そういうのって、誰かの思ってることじゃないでしょ、あなたが思うこと、感じることがあなたの心の中にあるってことでしょ。うん、そうだよ。そうじゃなくてさ、なんていうかこう、相手の立場に立って相手ならどう考えるかなどう感じるかなって想像力を働かせるんだよ。ふぅーん。なんか面倒くさいね。ははは。そっか。面倒くさいか。でも、あなたもよく言うじゃない、ママは私の話聴いてないでしょ、って。そういう時、いやじゃない? あー、別に平気だけど。あれまぁ、そうなの? だってそういうもんでしょ? うーん、ははは。でも、もしママが、あなたの話を、うんうん、そういうことがあったのかぁって聴いてあげることができたら、あなた嬉しくない? だってママそういうふうに聴いてるじゃん。え、あぁ、うーん。違うの? それならいいんだけど。いろんな人にいろんな感じ方があって当たり前だって言ったのママだよ。あー、まぁ、そうです、はい。
どうも私はまだ説明がよくできないらしい。勉強のし直しだな、これは。
というか。娘はもしかしたら、すごく健全なのかもしれない。

展示替えの日。会場に着く頃にはすっかり疲れてしまっている。緊張が私を雁字搦めにしているらしい。世界がだぶって見え始める。仕方なく頓服を飲んでみる。
一点、また一点、作品を替えてゆく。御苦労様、そしてこれからよろしく。そういう思いを込めて、一点、また一点。以前、展示替えの際、どじを踏んでガラスを割ってしまったことがあった。たまたま近所にガラス屋があってそこで額縁の大きさにガラスを切ってもらえたから対処できたものの、あの時はもう顔面蒼白だった。それを思い出すと指先が小さく震える。
そうして十二点、ようやく展示替えを済ませる。済ませた後はもう、疲れがピークに達したらしく、お茶を飲みながらうとうと眠ってしまう始末。あぁ。
何はともあれ展示替えは済んだ。さぁこれから後期だ。年末まで一気に駆け抜けるばかり。
帰りがけ、百円ショップをちらりと覗く。クリスマス一色。そうだ、十二月に入ったら、また部屋の飾り付けをしなければ。せめて娘にそのくらいしてやらないと申し訳ない。といってもツリーを飾れる隙間などなく。壁にあれこれ貼り付けるだけなのだが。

バスを降りたところで娘から電話が入る。泣声だ。どうしたのと聴くと、ママ、テレビが壊れた、と言う。何しちゃったの? ゲームやってて、アンテナが落ちそうになったから拾ったら、電気が切れちゃった。んー、ママ、今分からないよ。なんか変な音もしてるよ。変な音? この前ママが五月蝿いなぁって言って消してたやつ。どういう音? あぁそれはステレオが勝手に作動したんだよ、電源を切ればいい。どこ? 一番上。これか。消えた? うん、消えた、あ、テレビもついた。はい? テレビ、ついた。一体何したの? わかんない。
結局、消えたのもついたのも原因は分からずじまいだが、まぁ何とかなったらしい。病院だからと早く出てきたのがいけなかったのか。それとも、彼女が相当に暴れながらゲームをやっていたということか? まさかな。まぁ何とかなったならそれでよし。
そう、今日は病院の日。診察の日だ。
最寄の駅で降りる。雨は降り続いている。幾つもの傘の花が咲いている。まるでモノトーンの世界。その中で少し灰色がかかった桃色の傘をさす自分が、少し恥ずかしい。でもまぁ、私の顔が見えなければ、明るい色ということだけで過ぎてゆくだけの話。
母からメールが届いている。何だろうと思って見ると、お土産ありがとう、と書いてある。なんとなくこそばゆくなる。
行き交う傘の間から空を見上げる。どんよりと垂れ込める雲が一面。何処までも何処までも。あぁこの雲の向こうの、空が今、見たい。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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