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2005年03月15日(火)

 すっきりと晴れ上がった空。鴎が渡ってゆく。歩きながら何度も立ち止まり、私は空を見上げる。見上げたからといって何かがあるわけじゃぁない。あるわけじゃぁないけれど、私は何度も立ち止まり、空を見上げる。どうして空はこんなにも高いのだろう。どうして空はこんなにも空(クウ)を孕んでいるのだろう、どうして空はこんなにも。見上げるほど、はてなが心に浮かぶ。思わず手を伸ばしそうになって、私はきょろきょろと周囲を見まわす。今更人目を気にしたって仕方がないのに、唐突に恥ずかしいという感情が心に浮かんで、私はちょっとうろたえる。そして苦笑する。今更何を。そしてまた、空を見上げる。
 飛行機の跡に生まれる白い筋。私の足元に舞い降りた千鳥が、ちょんちょんと飛び跳ねて、ふっとこちらを見やる。あれは目が合ったと言うのだろうか。それとも彼の目に私は景色の一部として映っただろうか。ほんの一瞬動きが止まり、そして彼はまた飛び立ってゆく。
 ビルの影に止めておいた自転車にまたがる。ペダルを漕ぐ足はほとんど適当で、だから自転車もひょろひょろと走る。走る道筋、あちこちで工事が為されている。かつて和菓子屋だった公園のすぐそばの土地にも、とうとうマンションが建つらしい。足場が組まれ、トラックが何台も道筋に止まっている。この街はそうやって、常に何処かが変化する。地図を描こうとしても、きっと、正しい地図なんて一枚も描く暇がないに違いない。次から次に赤が入る。なんだか少し、寂しい。

 保育園へ娘を迎えにゆくと、娘が笑いながら出てきた。私を見ても笑っている。笑いが止まらないという具合らしい。何か楽しいことでもあったの、と尋ねると、さらにイヒヒと笑っている。教えてよ、どんな楽しいことがあったの、と重ねて尋ねると、いきなり、和尚さんハイグレ!と、ポーズを取る。呆気に取られ、直後、私は吹き出してしまう。子供というのは、訳のわからないことを次々思いつく生き物らしい。しかも、どんなささやかなことにも笑いを産み出す。自転車に娘を乗せて坂道をえっちらおっちらのぼる私に、娘が後ろから何度も、ハイグレハイグレ、ママガンバレー、と声を掛けてくる。なんでハイグレなんだよ、と思うけれども、坂が急で、気を抜くと自転車が止まってしまうので、私は必死に漕いでゆく。すれ違う人たちがみんな娘の声に笑っている。時々呆れた顔をしている人もいるけれど、まあそれは見なかったことにして、私は何とか坂をのぼりきる。
 お風呂上り、娘の腰まで届く長い髪をバスタオルで拭く。彼女の頭をごしごしやりながら、ふと、こうやって頭を拭いてやれるのは、あとどのくらいだろう、と思う。一緒に入るお風呂も、お風呂上りにこうやって髪の毛を拭くのも、きっとあっという間に終わってしまうのだろう。そう思いながら、私は指先に少し力をこめる。今のうちに存分に味わっておかないと。拭き終えた髪の毛を櫛でとく。娘はその間、ずっと、私が毎晩歌う「大きな古時計」を歌っている。
 ねぇママ、どうしてママはスカートはかないの?
 うーん、そうだねぇどうしてだろう。
 スカート、かわいいと思うよ。
 みうはスカート大好きだもんね。
 うん。だからね、ママもスカートはきなよ。
 うーん、でも、ほら、スカートはいてると、自転車漕げないでしょ?
 あ、そうか。じゃぁね、みうが大きくなったらスカート買ってあげるよ。
 え? あ、ははは、そっか、じゃぁ買ってね、かわいいやつ。
 うん、みうとおそろいね。
 うん、楽しみにしてるよ。
 あのね、今日遠足でお弁当食べてたらね、先生が味見させてって言うんだよ。
 へー、先生何食べたの?
 あの白いふわふわ。
 あ、高野豆腐ね。
 きゅうりも。
 浅漬けね。
 だからね、みう、急いで食べたの。お握り。先生に食べられないように。
 わはははは。だって三つも作って持ってたから大丈夫だったでしょ。
 うん、でも、すぐ食べちゃった。
 お弁当、からっぽだったもんね。
 うん、ほら、見て、おなか。
 娘はそうして、おなかをいっぱいに膨らます。私がぽんぽんと叩くと、娘がけらけらと笑う。みうのおなかはいっぱい膨らむの、だからいっぱい入るの、と、説明してくれる。実際、私よりもずっと多い量を食べるときもある娘のおなかは、ぽーんと張っていて、ぽんぽんといい音がする。こんなおなかも、じきにすっきり細くなっちゃうんだろうなぁと思うと、私はまた、ぽんぽんと叩きたくなる。ついでにこちょこちょとくすぐって、ひとしきり娘と二人、布団の中でくすぐりごっこをして遊ぶ。
 今、半分開けた窓の外はすっかり闇色。右から左へ、左から右へ、景色をじっと見つめるけれども、何処の窓にも明かりはついていない。どうしてこの街は、ちゃんと窓の明かりが消えるのだろうと不思議になる。みんなそんなにちゃんと眠れているのだろうか。私は膝に頬杖をしながら、さらに街景を眺めて探す。でも、やっぱり何処の窓も明かりはついていない。何処からか風に乗り、サイレンの音が小さく響いてくる。そしてすぐ目の前に在る街灯は、今夜も暗橙色の光を放つ。
 何処かに、明かりは消したけれども布団の中眠れずにいる人がいるかもしれない。また何処かには、部屋の隅で膝を抱えてぼんやり闇を眺めている人がいるかもしれない。確かにこの闇の中、明かりのついた部屋は何処にも見当たらないけれど、でもこの同じ空の下、何処かにきっと、そんな人がいる。
 明日はいい天気になると天気予報が言っていた。今夜は眠れず朝を迎えても、きっとその朝は、きれいに晴れあがってくれるだろう。うつむいて歩く人の肩にも、目を腫らしたまま歩く誰かの背中にも、等しく、日差しをさんさんと降らせてくれるに違いない。
 いつものように、街の隅から雄鶏の声が聞こえてくる。もうじき夜明けだ。娘にも私にもそして誰かにも、等しく朝がやってくる。美しい朝が。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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