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戦中も戦後もブレずに歌え

作曲家の古関裕而さんをモデルにした朝ドラ「エール」が戦争パートに入った。一か月にわたって描かれるとのこと。
主人公は戦意を高揚させる音楽を作ったとされ、戦争に協力し、若者を多く戦地に送り出すのに荷担したということで苦悩するらしい。

このテーマで思い出したのがノーベル賞作家カズオイシグロの「浮世の画家」。この主人公の小野も戦意を鼓舞する絵を描き、戦後に苦悩する画家だ。

カズオイシグロ氏は故郷長崎の戦後を舞台にした「遠い山なみの光」の中でも、戦中戦後のイデオロギーの転換によって、分断されゆく人々の姿を描いている。直接言葉には出されていないが、原爆が落とされたあとの長崎で、教育関係者たちの新旧が対立するのは想像に難くない。

画家小野は、戦後批判にさらされ、絵も隠し孫にも見せず、盟友の「なに、すぐ世間は年寄りの戯言として忘れてくれるさ」の言葉と共に明確な答えを出さず物語は終わる。人前では娘の縁談のために悔いるポーズもとるし、多少の後悔は感じるものの、批判される状況に煮え切らない部分も残している様子。

けれど古関さんは干された小野とは違い、民衆の熱い支持と人気がそのままに、戦後もラジオやテレビ、映画会社や企業から依頼が殺到し、活躍し続ける。

驚いたのは、国力をかけた「オリンピックマーチ」や、若者たちを鼓舞する高校野球の「栄冠は君に輝く」とかならまだしも、戦時中に敵国であったアメリカGHQプロデュース番組「鐘の鳴る丘」のテーマと音楽まで作っているのだからすごい。米軍が落とした原爆から、復興する支えとなった「長崎の鐘」も作ってるのに。
彼が単なる軍お抱えの作曲だったらありえないこと。これは、彼が軍のための戦意高揚と言うよりも、戦地に赴く兵士や遺された人々の心にいかに寄り添って愛され必要とされていたかの現れだと思う。
日本軍やGHQという見た目は正反対の外枠を軽々と越えているのだ。
「浮世の画家」で兵士たちが戦地に赴く中、軍や戦中の勢いに乗って、サロンで派閥の画家たちと酒を豪快にあおっていた小野とはそこが決定的に違う。彼には彼なりに日本を鼓舞したい使命感はあったのだけれど。

ドラマでも紹介されていたのだけれど、軍部は「露営の歌」やその他の歌を作るにあたって、勇ましく揚々と戦地で散れ!というような元気で明るい長調を希望してたらしい。けれど、兵士たち散る側になってみれば残された家族からすれば、それは当たり前に悲しいことであり、はい、景気よく散ります!なんて決してできるものではない。
そこには悲しみも苦しみもがあり、残してきた人々への愛やそれを守りたいという覚悟がある。だから彼の愛国唱歌は、軍依頼のものですら、人々の悲しみに沿う短調が多いのだそう。
戦後には、古関さんは映画や若者たちのための音楽も数多く作りながら、5000もの曲を作ったという中で多くを占めたのは、社歌だったという。企業で働く人々を元気付け、戦後復興を応援したのだ。そういえば映画モスラの双子が歌うテーマも古関さんで、あれはインドネシア語で平和を願う歌詞なのだそう。

戦中と戦後で、軍やGHQ、映画会社、企業と体制や外枠が変わっても、あくまで人の心に寄り添う古関さんには、逞しさとブレない軸を感じる。悩みこそすれ、大切なものは絶対に失ってないのだ。激動のひっくり返りまくった時代の中でも。

反対に戦中、戦後と変わらない、というテーマでゾッとする作品がアウシュビッツなどでのユダヤ人虐殺について描いた映画「ショアー」だ。
503分、8時間以上という気が遠くなるようなドキュメンタリーの中で、多くのインタビューがなされるのだけれど、ナチス崩壊後も、戦後ドイツでは意外にもユダヤ人虐殺に関わった関係者は戦後のドイツの体制の中に残り続けていることがわかる。戦後、世界は変わったようで、意外と社会の枠組みは戦中から変わっていないのだ。

エールのドラマの中で、もうひとつ、あ、こんなところまで戦中も戦後も変わってないんだなと苦笑したものがある。

帝国婦人会とPTA。
主人公の裕一くんの奥さま音ちゃんは、児童合唱団を作って子どもたちと発表会をしよう!と張り切っているのだけれど、一方で帝国婦人会、奥様がたの集まりにはとんと顔を出さない。
「お国のためにー!妹さんも出てくるべきです!」と音ちゃんの姉の吟さんにすごむ帝国婦人会のボスママさんらしきひとは、まんま今のPTAや町内会とカブって笑えてしまう。「お国のためにー!」が「子どものためにー!」に代わっただけ、それが錦の御旗としてブンブン振りかざされていることと、女性の労働力をタダ同然とみなしていること。
本当に国や子供のためだったら、どれだけ家にいて子どもたちを見ていたほうがいいか、もしくは働いて賃金をもらい、生活を充実させるほうがいいか。女性と女性の労働力を完全に舐めたシステムだ。これは現代も依然あるある。

現代に生きる私も、児童合唱団、子どもの留学ボランティア、絵本読み聞かせサークルや人形劇と、子どもたちが喜ぶことなら寝る間も惜しんでタダ働きで死ぬ気でやれても、PTAと子ども会と町内会はその意義がイミフすぎて死んでも参加する気にならなかったし、しなかった。
もちろん、素晴らしい活動をされているかたも沢山いらっしゃって、活躍されてるママ友さんは尊敬したけれども、それは絶対に任意で自由意志でされるべきだ。
家事育児介護仕事に目が回りそうなお母さんたちを強制的に働かせるべきではない。皆が下を向いて役員を避ける会議とか、やりかたが徴兵の赤紙と一緒じゃないか。

ドラマの吟さんは夫が軍人さんと言うこともあって、こうあるべき、こうするべきにどんどん縛られていく。ちょっと紅をさすことも憚られる。子どもがいないことでも負い目を感じさせられる。
昔も今も、女性は多くの呪いに縛られている。フェミニズムとかジェンダーとかそういう問題だけでなく、働く男性たち、軍人の旦那さまも、家庭を背負わなければならない、手柄をたてなければならない、お国のために散らなければならない、多くのこうあるべき、に追い立てられているのだ。

こうあるべき、こうするべき、〇〇のため、、、私たちを取り囲むシステムや人々は、案外、戦後も変わっていない。
むしろ目に見えた暴力装置でないぶん、平和の顔をしているぶん、厄介にまとわりついていることもある。
学校に通わなければならない、友達を作らなければならない、英語を話せ転職をしろ酒を飲めリア充でいろ陽キャでいろ結婚をしろ子どもを作れ家を建てろタワマンを買え母親らしくしろキラキラ輝け。こういうことを言ってくるのはミヒャエル・エンデの「モモ」でいう、灰色の男たちだ。それは戦争を含め時代ごとにあらゆる形を変えて私達に差し迫ってくる。そして私達が本当に大切なもの見失わせ、人生を本末転倒にしてしまう。

同時にふと思い出すのは村上春樹のイスラエル演説でも有名な、壁と卵の隠喩。私は壁ではなく脆くて弱いタマゴの方につきたい、と。

古関さんはもちろん、大衆というタマゴたちについたのだろう。
音楽も文学も、芸術も娯楽も、多くはそうあってほしいと私も思う。
戦中でも戦後でも、平和と呼ばれる世の中でも、どうしょうもない戦いはずっと続いているのだ。だからこそ、その戦いを闘う続けるために、もしくは癒やすために、あるときはいったん引いて逃げるために、芸術は、音楽や文学や歌は、私達に絶対に必要なのだ。


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