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性的倒錯者から見るジャニー喜多川問題

 この話題には様々な観点から感想を抱いたが、ここでは自分自身の性体験と照らし合わせながら意見を述べたい。

 まず筆者は先天的な性的倒錯者であり通常の性体験を望まない体質である。同年代で性癖がマッチすることなど当然なく、未成年の段階で大人に会って特殊な行為をした。年齢を考えれば禁忌であるが自らが望んだことだった。

 その後も同じ相手と行為を重ねたが、嗜好のズレを感じて縁を切った。今考えれば相手は小児性愛者寄りなだけでおおよそノーマル嗜好の人間であった。

 筆者は自分自身の性癖についてアイデンティティだと思っているし、人生最後までそれと共存すると思っている。別に性的なトラウマやPTSDもない。これからも探求を続けるつもりである。

 しかしそれでも10代における性体験がその後の人生に及ぼす影響は計り知れないものだと断言する。

被グルーミング体験を恥ずべき

 BBCの取材で「彼に感謝している」「もし出世できるなら行為を受け入れる」といった驚くべき発言の数々が飛び出し記者は唖然としていた。

 確かに男性が出世のために性的搾取されることは過去の歴史から見ても世界的に多く見られることである。そもそも性被害と思わず部活動で先輩に暴行を受けるのと同列の行為と見做している可能性も高い。

 百歩譲ってマインドコントロール状態だから仕方がないとしても、一人の大人として「出世できるなら未成年でも身体を差し出すべき」と考えていること自体に激しい憤りを覚える。

 その思考がもたらす影響はまたもや不幸の連鎖である。「性被害の代償として成功体験を得られたかもしれない。でもそんな体験はしない方が良かった。倫理的に絶対間違っているし繰り返してはならない」何故このような言葉が出てこないのだろうか。


誤魔化すことの出来ない性体験との”同居”

 性体験は若い時の経験ほど細かく覚えていたりする。その時の感触や空気感まで言語化出来るほど鮮明に記憶される。だからこそトラウマ的な経験だと生涯をPTSDで苦しむことになってしまう。世界中で未成年淫行が禁じられる理由はそういうことである。

 ジャニーズで性被害に遭って彼に感謝を述べている人たちはふとした瞬間に行為中の残像がチラつき、似たような男性を見ればフラッシュバックしているはずなのだ。どれだけ良い体験で上書きしようと死ぬまで消せない記憶だ。

 幼少期から強い願望を持ち、脳内シミュレーションの反復や知識をしっかり学んだ上でそれでも覚悟があるなら止めることは出来ないが、お金や名声のために軽い気持ちで身体を差し出してしまったのなら、強がっていても心にどれだけのダメージが入っているのか容易に想像がつく。

 彼らが擁護すればするほど次世代の若者は嫌な性体験はその場限り我慢すればいいのだ、大人になれば忘れるものだと確信してしまう。


性被害者が性加害者になる時

 海外メディアが取り上げなければ闇に葬られていたであろう今回の話題。

 権力と金を持って未成年との性体験を買う行為を非難しないのなら、それは被害者でありながら性加害者と同じ思考であると言っても言い過ぎじゃないと思う。

 そして筆者自身も1人の男性に未成年淫行の成功体験をさせてしまった加害者だと考えている。筆者の経験をきっかけに他にも手を出してしまったと考えると取り返しの付かないことをしてしまったと思う。リスクを負ってでも刑事責任を負わせるべきだったが、当時はその深刻さが理解出来なかった。

 逃げ切りに成功したジャニー喜多川氏、亡くなって時間が経過してもなお彼の行いを庇い続ける被害者たち。動画のコメント欄では世界中から批判的な意見が寄せられているが、決して目を逸らさずに全てを読んで時間をかけて考え直してほしい。


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