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夏至と山羊座満月〜手放して次へ進む

夏至を越えて、山羊座満月をむかえた。今回の満月は、山羊座2°でおこった。私のn天王星とピッタリ合だ。ザビアンシンボルは「3つのステンドグラスの窓、一つは爆撃で損傷している」。いろいろな解釈はあるけど、今の私には『理想を現実的な方法で叶えていく』というのがしっくりくる。

今朝、元恋人が彼自身のSNSで「人気も実力もない私の作品を理解して取り扱ってくれて嬉しい」という投稿をあげているのを見た。(いや、彼の投稿を見なければいいんだけどね)長年作品を取り扱ってくれている方の紹介をしつつ、感謝を述べていたのだけど、私はその文章を読んで悲しみがじんわり広がっていった。

もや〜としたその気持ちの奥にある本当の気持ちが分からなくて、胸のなかで転がしていたのだけど、午後に私が憧れている方のイベントに参加した帰り道に、ふっと解けた。

私は彼のその言葉を見て、とても悔しかったんだ。”人気も実力もない”って彼が彼自身に思っているということに、そうやって自分を卑下してる世界にいるのが本当に悔しかった。「あなたはまだそんなパラレルに生きているの?」と。もし仮に、本当に”人気も実力もない”って自分で分かっているのなら、なぜ腹を括って、本気で作品作りに取り組まないのか?がむしゃらに作りまくって営業して…と行動したのだろうか?自分のできることを全力でやり尽くしたのだろうか?人気も実力もある自分になるために、とことん自分の人生に真剣になってみろよ!!っていう怒りも”悔しさ”の後ろにはあった。

私が悔しくなるくらい、幸せになっていてよ。そんな厚かましい期待があった。私は彼と別れてから、なんだかんだどんどん幸せになっている。もちろん、精神的に本当に廃人みたいな苦しくて辛い期間を経て今があるのだけど、そんな感情の波とは裏腹に、私の外側の現実は結構幸せだ。一人暮らしを始めたし、仕事も順調だし、理想通りの働き方になったし、両親とも関係が超良好になった。今日みたいに、憧れる人にも会いに行ける。美味しいご飯も作れるし、友人と出掛けて楽しい時間も送っている。振り返ってみれば、私は私の人生を歩み直せた。だからこそなのか、どこかでまたふっと再会した時に、お互い「幸せそうでよかった」とカラッと笑い合いたと思う。それは私のエゴなのか。

そう、でも彼の自信のなさへの苛立ちは、私自身への声でもあると思った。去年、あるセッションを受けた時、私と彼は「自信のなさ」で繋がっていると分かった。私は自分の自信のなさを、まだ日の目を見ない彼を全力で応援することで埋めようとしていたんだ、と。だから、さっきの怒りは、私自身にも言ってるんだろうなとも思った。私は無意識に「私なんて」という思考になって、やりたいことから回避している癖があると気付かされた。それも前記のセッションで指摘されて、ハッと気づいた。だから、「私なんて」をやめて、小さい「私って天才じゃん」を拾ってみた。そしたら、テコでも動かなった働き方がとんとん拍子に理想通りに変わった。つまりはセルフイメージをアップデートしたのだけど、そこを変えるだけで、こんなにも現実が変わるんだと驚いた。

で、今日は、ずっとご本人にお会いしてみたいなと思っていたトレーナーの方の出版記念イベントに行ってきた。彼女の著書が出てから、顔や首のセルフケアを始めたのだけど、これが驚くくらい即効性と効果抜群なのだ。実際ご本人にお会いしてみても、とても信念を持って活動されている人なのはビシバシ伝わったし、体の使い方が本質的で、静かに感動していた。私の顔の筋肉や体を見てもらってフィードバックを頂いたので、それを実行していこうと思う。

そのイベントの帰り道、ぼんやり「私って昔から、こういう体の使い方を学ぶのなんでか好きだな〜」と思った。ただ、トレーニングに挑戦してみても、「どうせモデルになる訳じゃないし、やっぱ私には分不相応だ」と挑戦してみては諦めてを繰り返していたなと振り返って気づく。自分の中ではすんごく怖いのだけど、自分には分不相応な願いなんじゃないかって諦めないで、少しづつでもなりたい自分になることに素直になってみてもいいんじゃないか。元恋人に対して、全力で取り組んでみろよ!と思うのは、私がそもそも自分の願いや夢に逃げ腰だったから、気になって苛立ってたのかも、と思ったら、彼に対しての怒りはすっかり消え去って、「そうだよね、怖いよね」と捉えられるようになったから不思議だ。

ちっぽけなプライドは捨てよう。自分の願いに素直になって叶えていく私を、笑ってくる人がいたら静かにさよならして、自分の物語を歩んでいこう。傷ついたっていい、転んだっていい、悩んでもいい。全ては最善で喜びなのかもしれない。

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