1.思い起こせば、結婚が激動の始まりだった

私の37年間の人生の中でも、主人と結婚してからの7年間は激動そのものだ。改めて文字として書き起こしてみるのは初めてだが、頭の中に思い浮かぶだけでもなかなか凄まじいので、活字化するのが恐ろしい。そして更に恐ろしいことに、この激動は一向に収まる気配がないのだ。むしろ、今現在直面している難関へのただならぬ伏線としか思えない。
以下、結婚歴とそれに伴う激動の要約。

結婚1年目:婚姻届の提出と結婚式、長男の妊娠・出産を一年の中で全てやり遂げる。当時主人は飲食店を経営しており、長時間労働の毎日だったので、流行りのワンオペ育児体制。その上、犬を飼った経験も無いのに産後3ヶ月で従姉妹から紹介された保護犬を迎え入れ、長男とワンコの下の世話に追われる。

結婚2年目:長男1歳の時に、主人の従姉妹の結婚式でメキシコへ。まだ一人歩きできない乳児を連れた、アメリカ経由の乗り継ぎ長時間渡航の凄まじさを痛感。間違いなく人生史上一番疲労した旅行だった。日常生活では、引き続き長男とワンコのお散歩に明け暮れる。

結婚3年目:年始に実家の母が脳溢血で倒れ入院。一命を取り止めるも、右半身に麻痺が残るという事件が発生。母がいないと何もできない父だったため、一時期長男を連れて実家生活を行うことに。
長期に渡る母の入院医療費&リハビリ費用のサポートのため、働くことを決意。3月という絶望的な時期から長男の保活を開始、並行してパートタイマーの採用面接を受け、ほぼ同時期に両方が確定。ならないと思っていたワーキングマザーに転身。勤務開始数ヶ月後に驚きの第二子(長女)妊娠が発覚。産休まで働き抜くことを決意して奮闘。夏、当時暮らしていたマンションの売却が決まったことにより、妊娠中に1度目の引っ越し(賃貸・近距離)。臨月までパートタイマーを継続し、出産&産休へ。産休開始1日目の深夜に陣痛、翌日に出産。主人は出産に立ち会う予定だったが、ノロウィルス感染により立会いできず。退院後に初めて長女と対面を果たす。勤務歴が浅いことと経済的な理由で育休は取得せず、在宅でできる仕事を振り分けてもらい、在宅ワーキングマザーに転身。長男は認証保育園在籍で保育料が高額だったため、保育園を退園し自宅保育へ。幸いにも順調に回復した母は実家で生活できるようになり、定期的に帰省して様子見するようになる。


結婚4年目:偶然目にした格安新築マンションを将来的に売却する資産目的で購入し、次女出産後2ヶ月で2度目の引っ越し(分譲・近距離)。長女が2ヶ月を迎えた時に、誰もが強靭だと認める実家の父(享年72歳)がヒートショックにより急逝。動揺する母をサポートしながら、葬儀や諸々の身辺整理を行う。父を亡くした一週間後から、実家で在宅ワークを再開。まだ幼かった長男の育児と仕事により、父の死を乗り越える。細々と仕事をしながら、長男長女の育児に明け暮れる毎日。

結婚5年目:在宅ワークからオフィス勤務へ復帰するため、長男と長女の保活(認可)に取り組むも、世田谷区での激戦に敗れる。長女は以前長男がお世話になっていた小規模認証保育園にギリギリ3月末の段階で入園決定。長男は、致し方なく近所の芸術に特化した幼稚園に入園。幸いとても素敵な幼稚園だったが、まさかの入園後に長男の認可保育園の内定通知が届き、保活の難しさに打ちひしがれる。毎日自転車で15分かけて長女を認証保育園に預け、その後20分かけて長男を幼稚園へ送りながら、オフィスワーク(1日4時間×週4日の短時間就労)へ復帰。しかしながら、あまりにも低収入で社会保険料すら天引きできず、また、業務効率の悪さから在宅ワークに戻る選択肢を会社から提案され、再び在宅ワークへ。そんな最中、当時主人が所属していた会社の業績が伸び悩み、減給に。家計のサポートのためオフィス復帰をすべく、泣く泣く長男の幼稚園を12月末で退園させる。認可保育園二次募集で内定するポイント確保のため、唯一空きのあった認証保育園(環境的にここだけは絶対に入れたくないと思っていた認証保育園)を見学し、先生方の温かさを信じて入所させることを決意。息子へ負担をかけたことに悔いる毎日。

結婚6年目:認証保育園に預けた実績と7時間就労のオフィス勤務になったこともあり、長男の認可保育園(新設園)入園内定。毎日自転車で、15分かけて長男を認可保育園へ預け、その後5分かけて長女を認証保育園に送りながら、ようやく念願のオフィスワークへ復帰。オンラインショップの運営や、カスタマーサポートを中心に担う。主人が所属していた会社はなかなか業績が上がらず、主人は家族で過ごす時間を割いてまで、低賃金で働くことを疑問視するようになる。ストレスと睡眠不足で日に日に太っていく主人を見て、病的だと感じた私は退職を勧める。愛着のある会社なこともあり、深く悩みながらも主人は退社し、夜勤の仕事に再就職した。夫婦で話し合う時間が持てるようになり、近い将来実現可能な、【家族の時間を確保しながら生計を立てられる仕事】について夫婦で考えるようになる。
また、主人の母との同居を見据えた暮らしも並行して考えるようになっていた。

結婚7年目:【家族の時間を確保しながら生計を立てられる仕事】について、夫婦で出した答えは民泊だった。オーナー同居型の、いわゆるホームステイ型民泊のスタイルであれば、学校から帰ってきた子供たちを、「お帰り。」と迎えてあげることができる。経済的に留学させるなんて夢のまた夢だが、海外の旅行客を迎え入れれば自宅で国際交流が叶う。主人は、夜勤のかたわら民泊に適した物件を探しに探した。私は、小規模認証保育園に預けていた長女の卒園に伴い、認可保育園への転園のための保活をした。保活が甘くないものだということは、痛いほど思い知っているので、7時間就労だった労働時間を8時間就労に切り替えてもらった。認可保育園に入るために働く毎日だった。子供達の保育時間は11時間にもなった。
【家族の時間を確保しながら生計を立てられる仕事】を、より強く求めて行った。毎日のように夫から物件情報がLINEで転送され、それを閲覧しては夫婦ともにどこかしら納得がいかない毎日だった。一体幾つの物件情報を見たことだろう。横須賀、三浦、三崎から逗子、葉山、そして鎌倉。各所の物件を内見したが、ビジネスとして成立する集客力とアクセスで考えると、やはり鎌倉という場所が最適だという結論に至った。そんな時、私が閲覧していたサイトで、これは、というものを見つけた。
鎌倉、古民家、修繕・改築費用が抑えられる建物、オーナー同居型民泊でも快適な暮らしが成立する間取り、そして価格。価格以外の全ての要素は満たしていた。主人にも閲覧してもらい、価格はさておきすぐに内見の段取りをした。それが、2019年2月のことである。
その後、綿密に計画した私の保活は成功し、長男の通う認可保育園とは別園だったが、長女は念願の認可保育園に入園が内定した。毎日自転車で20分かかる認可保育園へ長女を預け、その後10分かかる認可保育園へ長男を送り、電車と徒歩で1時間かかる通勤を毎日続けた。そうすることで、私と子供たちの時間はますます少なくなった。朝、5時に起きてから家を出るまでの約2時間。仕事を終えて子供達をピックアップし、7時に帰宅。そこから眠るまでの2時間。それが私と子供たちが家で過ごせる時間だった。仕事は充実していたし、子供たち二人が認可保育園に入れたことで家計もいくらか楽になった。それでも、保活の成功が虚しく感じる毎日だった。本当の充足感は、もっと全然別の次元にあるものだと痛感した。本当に大切なものは、保活の成功だけで得られるわけがないのだ。
その後、鎌倉の物件も数件内見はしたが、これ以上の好物件はないと夫婦で再確認し、物件取得に急いだ。物件の申込みをしてから、丁度1年が経った。長男の身長は5cm以上も伸びたし、春には小学生になる。長女は4歳になり、自分一人で大抵のことができるようになった。物件はものすごい苦労の末何とか取得できたし、開業準備も進めてきた。でも、民泊はまだ開業できていない。

ここからは、物件申込みからの濃密な激動ぶりを細かく思い起こしていきたい。全てが一筋縄ではいかない、神様は我々に何を試しておられるのかと思わずにはいられない、濃密かつ激動の1年間を。



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