生まれ変わった時の新しい自分へ贈る、今の私の色々な記録

私は今日、2020年3月16日現在、37歳255日。だそうだ。でも、37歳255日になるまで、自分の人生をカウントしたことなんてなかったし、しようと思ったこともなかった。正確に言えば、カウントしてくれたのはGoogleで検索してヒットした日数計算システムだし、とても高機能なシステムだなあと感心するし、閏年なんかもちゃんとプログラミングされているんだなあと思うとスバラシイ!と思うのだけれど、今度使う日がいつ来るのかは今のところ分からない。

赤ちゃんの時は何歳何ヶ月とか、生後何百日とか、一日、一ヶ月、一年という区切りが大層愛おしくて、とてつもなくかけがいのない時間としてカウントされるのに、いつから自分の年齢すら曖昧になってきたのだろう。

37歳255日。そこそこの大人で、そこそこのおばちゃんだし、なんならそこそこの人生具合だ。

私が小学校の卒業文集に書いた『将来の夢』は、『自由人』だった。当時12歳の自分としても、「これはなかなか良い夢だなあ〜。」と納得したことを今でも覚えている。

ありがちな夢は描きたくなかったし、そもそも固定の職業に決め込むことは気が進まなかった。模範解答なんてまっぴらで、先生の期待を良い意味で裏切る変化球を投げたかった。そして、そんな私の夢をにんまりとしながらミットに収め、何も言わずに印刷して卒業式に返球してくれる先生たちだった。

私の人生における小学校6年生は、特別だ。

今日、noteを書き始めたばかりだから、『小学校6年生についてなら、ざっと○○文字くらいは書ける。』、という表現ができないのが申し訳ないのだが、そこそこいけるはずだ。

その、濃密な小学校6年生を超える特別な一年を、今私は過ごしている。

人間は今の今しか生きれないから、一度きりの人生って面白いしヤメられないものだなあと思う。こんなことを書くと勘違いされてしまいそうだが、私は不治の病を患っているわけではないし、比較的健康思考だし、できることなら長生きしたいと思っている。なんなら、小学校6年生についてもいずれここで書き記す心つもりだ。

では、なぜ今の今を記録しようと思ったか、その理由。

ひとつめは、濃密だから。

ふたつめは、激動だから。

みっつめは、私は私に生まれ変わる前、何者だったかを知らないから。

私は私に生まれ変わる前、一体何者だったのだろう。前世占いをしても、それは本当の答えではないし、そもそも生まれ変わり自体が起こりうることなのかもよくわからない。

でも、もし生まれ変わりという事象が起こりうるのなら、前世の私がどんなことをして、どんなことを想い、どんなものを大切にしていたかを知りたかったし、次の人生を生きる私に、今の私がどんなことをして、どんなことを想い、どんなものを大切にして生きていたのかを伝えたい。

と思ったのだ。

前世の私が私にできなかったことを、私は来世の私にできるかもしれない。

というのは、今思いついたちょっと聞こえの良い理由だけど、後世の自分からしたら、前世の自分のストーリーをnoteで読めるって相当面白いと思うので、やってみることにした。

後世の自分の頃には、前世の自分にたどり着く術があるかもしれないし、結果的にたどり着けなくたって構わない。私が今後歳を取ってからこれを見ることで、よりよく今を思い出すことができたなら、それで良いのだ。

本当に濃密で激動な今を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?