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「特殊」ではなく「普通」だった

ある日知人に言われて驚いた言葉がある。
「私、自殺未遂してるんだよね」と。
いや、他人にそんなサラッと言っていいのか。本人の中ではもう時効なのだろうか。

人には誰しも言えないこと、もしかしたら墓場まで持っていく話があるだろう。もちろん自分のことを包み隠さず話す必要はない。しかし子どもの時や若い頃には分からず、大人になって気付くことがある。それは

自分だけが特殊な経験をしているのではない

ということだ。親が不倫の末に離婚した、大病を患って就学年齢時にまともに学校に通えなかった、住んでいた家を引っ越さざるを得なかったetc… それは不幸なことではあるが、この世に生きている限り

まだ誰も経験したことがないこと

に出会っている可能性は極めて低いということだ。世界で数例しか見つかっていない病気だって、裏を返せば何例かはあるのだ。例えば悪い意味で「自分は他人と違う」「こんなこと絶対に人に言えない」と思ったとしても、知らないだけで多分いつか誰かが経験している。

特殊という認識が普通になると良い、と私は思う。なぜなら問題解決の難易度が下がるからだ。全く同じでなくても、似たケースなら参考に出来る。解決の方法に正解なんてないし、もしかしたら解決なんて出来ない場合もあるだろう。しかし「自分の他にもそういう人はいる」と思えるだけで、少し心が軽くなるかもしれない。物事を「知る」という行為はそういう意味でも、とても重要と考える。

ちなみに特殊という言葉を辞書で調べてみると、「性質や内容などが他と著しく異なること」とあった。やはり他と著しく異なるなんてことは、滅多に起こらない。従ってもしも「自分は特殊で周りと違うんだ」と悩んでいる人がいれば、そう考える必要は一切ないと私は思っている。



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