見出し画像

ホントの本との出会い

郷土本があるからと引き取ったが蓋を開けたら詩集ばかりで困っている、よかったら取りにこないかと図書館に勤めている知人から連絡があった。「ことばが好きみたいだからどうかなと思って…」そういう時に自分を思い出してもらえるのはとてもうれしい。せっかくなので、足を運んでみた。

持ち主のお年寄りが、熱心に集めていたのであろう段ボール5箱にぎっしりと詰まった本達。どれと一冊ずつ手に取ってぱらりとめくってみる。詩は、正直あまりよくわからない。せっかくの機会だけど、詩集はちょっと…そう思って、馴染みのある短歌集の方を物色していた。

しかし、詩集なのだが、なんだか気になってつい手にとってしまう本がある。装丁がものすごくかっこいいのだ。ベロアのような厚手の布張りのしっかりした本が、ケースに入って丁寧にしまってある様子。本を開いた時の、紙のピシッとした感触、匂い。本の手触り感というのは、こういうものだなあとうっとりしてしまう。昔の本は、お金も時間もかけて、本当に丁寧に作られている。

所有者さんは、よほど本が好きな方だったのだろう。食べこぼしやシミなんてもってのほか。薄いグラシン紙で丁寧に包まれた、大切に大切に扱われてきた本達は、物体としてとても価値のあるものに見えた。

古書店に持って行ったら喜ばれるだろうに…そう思うけれど、置き場所もないので近いうちに処分する予定とのこと。もったいない。しかし、5箱全てレスキューするわけにもいかない。結局、短歌集数冊と、部屋に十分飾れるくらい装丁がかっこいい詩集を10冊程度いただいて帰った。

家に帰ってから野次馬心で、これはどのくらい価値があるものなのだろうとネットで調べてみると、どの本もアマゾンなどでは出回っていないものたちばかり。中には、古書店で「この本を探しています」という文句と共に12000円という値がついている本もあった。

誰かの箪笥に眠っている、宝物。
持ち主の気持ちが詰まって大切に扱われてきたものは、その想いが伝わって、たとえ無料で巡ってきたものだとしても自分も大切にしたいと思う。

ただ文字を追うだけではない、本というものの価値について。元本屋としては、なんともたまらないホントの本との出会いの時間だった。