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ピアスを落としてお姉さんと友達になった話

ピアスを落とした。子どもを産んでからピアスなんてほとんどつけていなかったが、久しぶりにめかしこもうと、出かける間際に急いでつけた一番気に入っているピアスだった。めかしこむといっても、化粧もほとんどできず昼食を10分でかっ込んで、ずり落ちそうに子どもを片手にぶら下げて急いで出発した。

少し寂れた温泉街に、ぐるぐるとお店が回遊するマルシェが現れるというこのイベントは、晴れた昼下がりの休日にぴったりとはまり、芝生の広場にはたくさんの人がいた。心地よい海風と春を感じるぽかぽかした日差し。普段閑散としていて温泉に来ても車を降りて散策したこともなかったが、こんな場所がここにあったんだ、今度わざわざ来ても良いなと思うほど心地の良い時間だった。

楽しい時間を過ごし、途中で合流した夫と夕食を食べた店のトイレの鏡を見て、片方ピアスがなくなっていることに気づく。長い時間を過ごしていたあの広場に違いない。辺りは薄暗くなってきているが、まだ真っ暗ではない。直径2cm弱の大きなピアスだから、落ちていたら見つかるかもしれない。夫に子どもをお願いし、私はそそくさと一人広場へ向かった。

思った以上に暗くなってきた。スマホのライトで照らしながら、自分がいた場所、通った場所を探してみる。ティッシュのようなゴミが落ちていて何度も足を止め目を細める。しかしピアスは見つからない。あんなに大きければすぐ見つかりそうなものなのに。ここじゃないのか?3往復ぐらい広場をうろうろしていたところ、一人の若い女性が「何か探しているんですか?」と声をかけてくれた。ウォーキング途中のスポーツウェアを身に纏い、髪を一つにまとめた小柄な若いお姉さんが、「私も時々ピアスなくすけどショックですよね」と共感し、しばし一緒に探してくれた。ひとしきり探すも、申し訳なさも助け、もう仕方ないので大丈夫ですと頭を下げると、車までの道のりも一緒に探してくれるとその方。少しの間、下を見ながらぽつぽつとお話をした。

彼女は、家がすぐ近所で、いつもこの辺りをウォーキングしているのだという。この道が好きでいつも走っていたが、現在妊娠8週だから最近は歩くことにしたそう。今日の日中のイベントのことは知らない様子だった。私にとってこの温泉街は、時々奮発して泊まる旅館のある非日常で、今日のイベントも非日常として突如現れた空間と人手だったが、彼女にとってこの風景はごくいつもの日常で、ここは毎日ウォーキングするコースなのだ。私が助産師であることを伝えると彼女は驚き、車に着くまでの10分弱、彼女が今通っている産院を選んだ理由や妊娠の経過、今の状況などたわいのないお話をした。そして、自分は毎日この辺りをウォーキングしているので、もしピアスが落ちていたら連絡しますよと連絡先を教えてくれた。

ピアスをなくしたことはショックだけど、それ以上にこの時間がとてもあたたかく、帰り道の私の心はとても穏やかだった。イベントの非日常よりも、こうした地元の方の日常の中にあるこの場所を色濃く感じられたことで、この場所がすごく好きになった。土地への思い入れって、こういうことから生まれるのだなとつくづく思う。片方のピアスを見るたびに、私はあの海岸沿いの砂浜をバックに見た、少しはにかみながら話す彼女の横顔を思い出すだろう。

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