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去っていった人

オリエンタルラジオが好きだった。 

とはいえそれも昔のことだ。

デビューしてからしばらく、本当に好きで彼らのために作られた無限大ホールまで交通費数万をかけて足を運び、今はもうないCSの吉本興業専門chに入って彼らの活動を追いかけていた。

彼らのネタは武勇伝以外は覚えてない。
DVDなども買ったのだけど、漫才よりコントの方が面白かったかなという記憶がかすかにある程度だった。
でも彼らで笑ってたし面白いと思ってた。
何より頑張ってほしかった。

私も当時は働き始めたばかりだった。
だから同じように、お笑い芸人としてのキャリアをスタートさせて、芸能界で四苦八苦している彼らにとても感情移入して応援していた。

オリラジはクレバーな戦略を立てて、若手芸人としてはほぼ最短距離くらいで売れた。
しかし、その後は本当に大変だったと思う。

吉本が彼らのために劇場を作り、その劇場から配信する専門チャンネルの365日の二時間の帯のバラエティー番組をド新人である彼らに任せた。
もちろん先輩、後輩芸人が多くサポートにつきはした。
が、売れっ子芸人としてテレビの仕事をこなしつつ、まだキャリアやテクニック、先輩後輩との関係性もないまま、自分たちがMCとして毎日劇場に立つのは過酷だったはずだ。

実際彼らの焦燥感や疲れや精神的な疲弊は、毎日その番組を見ていた私にもわかるほどだった。
社会に出て、それまでとは全く違う世界で働いて、同じように疲弊した私は、疲れて家に帰って、彼らの健闘ぶりを見るのだけが本当に楽しみだった。
毎日二時間録画して、DVDに落としていた。
その量はかなりにのぼり、いまだに一部は捨てられずにいる。

いつしか私の興味も他に移り、吉本専門チャンネルも終わった。
そうなると再々劇場に行くことのできない地方民はお笑いを追いかけるのは困難になる。
関東・関西圏でない限り、地上波で見れるお笑い番組には限度がある。
仕事も忙しくなり、いつしかお笑いへの興味も当時ほどは持てなくなっていった。

だからコロナ禍でお笑いライブがだいぶ配信されるようになった時は、物凄くうれしかったしありがたかった。
お笑い熱も少しだけ戻ってきた。
その矢先のオリラジ吉本退社のニュース。

あっちゃんは戦略的に売れる芸人になったけど、お笑いのことは大好きだったはずだ。
お笑いに興味の無かった慎吾くんが誘われて芸人になったのも、あっちゃんがお笑いにかける熱い思いを知ったからだったはず。
私の記憶が確かならば、素人時代に舞台で見た平成ノブシコブシに憧れていたと、吉村崇本人に語っていた。

そんな人がお笑い芸人、吉本芸人であることをやめ、テレビの世界から去っていった。
それはお笑い芸人として必死に働き、アップダウンを繰り返しながらも活躍し、そこで得たものがあったからこそ、別の世界に踏み出せたのだろう。
そうではあるだろうけど。

私も現在進行形でオリエンタルラジオがすごく好き!というわけではない。
思うところもいろいろある。
でもやっぱり、ヨシモト∞で熱くお笑いを語っていたあっちゃんのことを思い出すし、当時そんな彼らのことを大好きだったことを覚えてる。
だからこそなんとも表現しようのない複雑な気持ちになる。

私はしんどい労働の日々からは降りた。
心身ともに限界で降りざるを得なかった。
彼らはそれを乗り越え何度かブレークした。
彼らを応援し、気持ちだけでも一緒に頑張り闘ってた日々も、今は遠い。
だから彼らが吉本興業とテレビ業界に残していったものを時々考えてしまうのだ。


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