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極端にやり切る経験が自分を知ることに繋がる

物事は継続することで価値を生む傾向があり、三日坊主で終わらせてしまってはその魅力を知ることすらできないケースが大半です。

そのため、僕は基本的にある程度は意識的に継続するように心がけていて、やり過ぎてしまうくらいにハマったあとに、ある時ぷつんとやらなくなってしまうことが多いです。

その極端な例がフルマラソンで、走り切った当日に「もう二度とやらない」と決意したほどです。しかし、完走をするまでは、フルマラソンを完走する景色を見てみたくて、途中でやめることなど考えられませんでした。

筋トレも同じです。フルマラソンのトレーニングに伴って筋トレにも精を出していたのですが、今でも筋トレはやったりやらなかったりです。冬の時期はほぼやることはなく、夏が近づくと鍛える年もあればそうでない年もあります。

ジョギングも筋トレも結局、生涯に渡るルーティーンとまではなりませんでしたが、一定のレベルまで極端にやり切った経験から、その魅力を知ることはできたのです。

ランナーズハイも経験できたし、大きくなっていく自分の筋肉を見て喜ぶ経験もできました。これもある程度継続しなければ得られない魅力です。

だから何事も、一度でいいから極端にやり切った方が良いのだと思います。「経験したうえでやらない」という判断は自分を知ったうえでの賢明な判断になるからです。

節約生活を心掛けていても、一度くらいは贅沢に散財をしてみた方が良いでしょう。たくさん使ってみたことで、痛みを感じるようであれば節約生活が性に合っているということですが、快感を感じたのであれば、豪勢な生活ができるように生きた方がいいかもしれません。

有意義な人生を生きるためにも、自分を知ることは非常に重要な要素になります。まずは一度でいいから、極端にやり切ってみることをおすすめします。

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