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【294球目】過去の自分

競う相手は他人や同業他社ではなく、過去の自分自身です。

これは正しい思考です。過去の自分と比べてどうなのか。今日は過去の自分自身を振り返ってみて、今ならどんなことを思うかを考えてみました。


三陽工業に入社した時

27才の時です。

父親(当時の社長)に連れられて色んな人の所に挨拶にいきました。そこである人に言われたことがあります。

めちゃめちゃ元気ですね。そのままで頑張ってくださいね。

そんなことを言われました。自分自身では元気である認識はありませんが、そこは営業マンです。元気に見える、明るく見える、感じよく見える、ことはとても大切なことです。ましてや、その時は120%のパワーでやっていましたから、そう見えてもおかしくはないですね。

とにかく、始めのころは何でも屋です。

現場に行けと言われると行きましたし、あれやって、これやってと言われればやりました。そして、決めていたことが、1年間は誰にも反論をしない。意見を言わないと決めていました。自分の経験してきた会社より小さな会社に入っていますから、様々な所に気付きます。それをいきなり外から来た人間が、

これはこうするべきですよね。

と言って、良い気持ちになる人が世の中にどれくらいいますかね。ほとんどいない気がします。この会社で自分は一生働いていくと決めていましたから、その1年間は決して長くはない。そんなことを考えていました。今の自分がその時の自分ともしも出会うことがあれば、褒めてあげたいかな。

もうちょっと仕事以外の事も興味を持っていてもいいのではないかとアドバイスはするかもしれません。


スタートの瞬間

三陽工業に入って様々なスタートの瞬間に携わることができました。

川崎重工内での請負職場(組立・研磨)
川崎重工内から森友工場への職場移管
メッキ・クリア塗装の表面処理の開始
三菱重工との取引開始、請負開始
日本梱包での請負開始そして撤退
西神戸LCへの引っ越し
魚住LCでのコンテナ受入れ
川崎重工との本社倉庫の契約
HRの県外への進出
岐阜での請負開始そして撤退
淡路島事業所の開始
神戸事業所の開始そして撤退
生産推進グループのスタート
インディード利用開始
IPOの取組開始
などなど。

ざっと書いただけなので抜けもあるとは思いますが、様々な立上げを経験することが出来ました。全て自身の財産です。自分が行動をしているこの経験がとても生きています。この時々の自分に出会ったとすると、これもまた褒めてあげたいですね。上手くいく、いかないはさておき、必死でしたね。

効率的ではないこともたくさんありました。

ですが、その時の自分自身の120%でやっていました。めちゃめちゃ怒られたこともあります。逆にめっちゃ怒ったこともあります。今思い出しても、謝りたくなるようなこともありました。それも、必死で余裕がなかったからこそです。今振り返ると、全てがしんどくて、大変でしたが、楽しい想い出です。そして、今もその業務が引き継がれているものも数多くあります。

そして、そこで頑張っている仲間がいます。


過去の自分を超えている?

果たして、今の自分は過去の自分を超えているのかな?

答えはノーです。まだまだ超えられていません。というより、私の思考では超えたと感じることはないと思います。数字や会社規模では確かに超えています。しかしながら、まだまだやるべきことも数多くありますし、伝えられていないことも山ほどあります。

ゴールはきっと迎えないでしょう。

どこまでもシンカが必要だと感じています。三陽スタンダード⑥です。まだまだ、もっともっと。そんな気持ちでこれからもやっていきます。本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!