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エレファントカシマシの歴史 vol.0『MEET THE ELEPHANT KASHIMASHI』

僕は所謂、音楽好きである。音楽の目覚めは幼少期。始まりはクラシック音楽であった。いや、もしかしたら僕は自然界に生まれる予測できない混沌とした音楽が好きだったのかも知れない。兎も角、僕は周りの環境も相まって半ば強制的にクラッシ音楽を聞いていた。バッハやらベルリオーズやらである。そんな僕であったがクラシックと同様に近しかった音楽と言えばロックミュージックである。音楽好きな父親が好く沢田研二、萩原健一、世良公則、桑名正博の楽曲を弾き語りで歌っていた。その流れで父親はエレファントカシマシの『今宵の月のように』『俺たちの明日』を弾き語りで歌っていたのを度々耳に挟んだ。当時は良い曲だな、と思っていたもののそれだけであった。自ずから調べようとは思わなかった。

中学生になって思春期の頃、誰もが一度は通るであろう“邦楽全否定期”に突入した。あらゆる全ての日本語ロックを否定し洋楽を賛美した。洋楽の中でもDavid Bowie(中でも『1.OUTSIDE』『BLACKSTAR』)とPink Floyd(中でも『THE DARK SIDE OF THE MOON』『THE WALL』)The Beatles(中でも『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』『The White Album』)を聴きまくった。そうして中学での生活を終えた。

高校に入る直前、一通り洋楽を聴き終えたと感じた僕は次いで邦楽を学ぼうとTSUTAYAに急いだ。適当に目に映ったアルバムを借りた。その時借りたアルバムはSuchmos『THE KIDS』福山雅治『福の音』そしてエレファントカシマシの『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』であった。

しばらくの間、Suhmosと福山雅治を聴いていた。何故だかエレファントカシマシは『今宵の月のように』『俺たちの明日』しか聴いていなかった。懐古の念で聴きたかったというのもあったので他の曲を聴くとうことまで心が向かなかったのだろう。

良く人は『沼にはまる』という言葉を使う。しかし僕の場合は『沼にハマる』どころでは無かった。或日、詰まらない高校への登校中ふとウォークマンのシャッフル機能を用いた。そこで流れてきたのが『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』Disc2の一曲目『ガストロンジャー』であった。谷底に突き落とされる感じであった。文字通りどたまが吹っ飛んだ。こんな格好良い曲が存在するとは夢にも思わなかった。想像の範疇を遥かに超えていたのである。

そうして僕はエレファントカシマシというの名の深い深い谷底に一瞬にして落ちたのである。

エレファントカシマシという名の谷底に突き落とされた後一年以上殆どエレファントカシマシしか聴いて来なかった僕は全てのアルバムをレビューしようと心に決めたのである。気が向いたらぜひ読んで欲しい。


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