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塾講のバイト(前編)


 そーいえば学生の頃に一時期実家近くの名〇義塾という個別指導に
 休学し何気なく求人探してそのまま入れてもらってなれないバイト
 よく覚えてないけどなんか人間関係の軋轢で揉めていた教室だった
 でつまんなくて剃髪し2ヵ月くらいの休暇頂き一人旅へ出てしまう

 まぁ簡単にいえば四国歩き遍路してたんだが旅から帰ってきて除籍
 いや除籍ではなかったが隣街の教室へ派遣されてバイト継続1年し
 担当生徒が地元の進学校の子ばかりで後に文科省に入った子も居た
 その頃はプライベートではmixi日記で“愛の研究”を綴っていた♪

 それで別の学習塾で社員として入社させてもらえて理系講師扱いか
 数学の講師として将来は・・・なんて夢想していたような気がする
 哲学者のウィトゲンシュタインに憧れて自宅で哲学を開始した頃だ
 哲学書を読んだり心の中で呻いていたり書き物の習慣が定着しゆく

 でもね人間ってのは頭だけの生活や行動をしない毎日は続かなくて
 しかも昼から働いて夜中に帰るみたいな生活も健康や交際にわるく
 そういう生活やあとは環境もあったのだろうけどもストレスためて
 ついに私は疲れてダウンしそうになってヘマして辞めることになる

 会社組織というものは理不尽で不条理なモノコトも起きる“現場”
 今ではそういうこともよくわかるが当時20代の私にはまだ分からず
 過去のバイト経験とはかなり違う精神労働というやつが髄に染みる
 私はまたバイトに戻って別の個別指導塾で苦悶式?を頑張ってた

 その前くらいに休学していた大学を正式に中退してしまったわけで
 そこから私が予想していた過酷な人生が始まることに覚悟を決めた
 そうして私は一般社会の価値観やレールみたいなのを捨ててしまう
 彼女とも別れて一人孤独に在野研究を志しながら講師バイト生活へ

 人生で一番低音やけどのように辛い日々が続く中で痛みとの和解を
 嗚呼4ぬときの苦しみが100だとすると80くらいが毎日続くリアルで
 色々と決意をもって続けることを決めていたがリアルは過酷だった
 まぁ簡単にいえば“修行”の意味あいもあって講師を続ける毎日を

 そうだきっと人生で一番華やかで楽しいはずの20代がモノクロDAYS
 塾講(師)のバイトというのはいわゆる寺子屋の先生みたいなのか
 むかしは寺の坊さんが読み書きそろばんなど気楽に教えてたんだろ
 本気でやると全然気楽ではなく寧ろ精神的にかなり辛い仕事だった

 ※この件については塾講のバイトの後に肉体労働してそれが判明す

 この教室での最初の1~2年はとにかく場数を踏んで経験を積むこと
 高校数学のテキストを個人で用意して暇を見計らって自習しまくる
 DUO 3.0なんていう英単語帳や英作文も気晴らしに図書館で只やる
 その他科目も教室の別室で休憩中や勤務時間外に自習したりする!
     
 何のために?寿司屋なのに寿司が出せなかったら不味い想いにて!
 どんな想いで?学生時代数学が全然ダメだった劣等感解消のため!
 付加価値は?自分の研究に数学や英語や果てはその他使うからだ!
 同時にそのためには多くの生徒(人間)と向き合う必要があった!

 ってのが本望だが実際は色々と大きな人生の反転期を経験していた
 ・・・私は3年を目安くらいに思っていたが何とその後6年居続けた

 ・・・出てくる登場人物や人間関係については一切書かなかった
 私が人間に対してリアルに向き合うほどに目が覚めてきたからだ

 在家の坊さんか~い♪
 そんなんでバイトした

 乱文失礼,後編へ続く
 了,20min.

※本記事の著作権は陽太に帰属します.


陽太|自然哲学とその独自の易学を専門とする在野研究者
yohta.yingyang(at)gmail.com

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