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幸せの尺度

アルバイト先の同僚に、ものすごく誠実で謙虚な女性がいる。
 
彼女は私よりもちょっと上の世代。
国籍は違うけれど、言ってみれば昭和初期の人みたいなイメージ。
とにかく辛抱強い、働き者、身の回りの人、身の回りのことにいつも感謝して過ごしている。

毎朝、今日も元気で働けること、家族が健康であること、暖かい太陽が降り注いでいることに心から感謝し、神さまに手を合わせているという。

彼女は20代に入ったばかりの頃、彼女の親族と夫とともに、メキシコからカリフォルニアに移住してきた。
そして言葉も習慣も違うこの国で、懸命に働き3人の息子を育て上げた。

彼女は英語を習得することはなかったが、与えられた仕事を忠実にこなし、かつ誠実な人柄、その丁寧な仕事ぶりはカフェのオーナー夫婦からも一目置かれていた。

そんな彼女だが、今年は彼女にとって試練の一年だった。
春先に別の仕事場で(彼女は仕事を3つ掛け持ちしている)トルティーヤをプレスする大きな機械に指先を挟まれ、危うく指先を失うほどの大怪我を負ってしまったのだ。
ギブスで指を固定して、仕事はやむなく全て中断し、ひたすら回復を待つ日々。
そして3ヶ月が過ぎた夏前に、無事に仕事復帰。
大怪我を負った指はインフェクションを起こすこともなく、驚くほどの回復を見せ、新しい爪も半分ほど生えそろっていた。
医者もこの回復ぶりには驚いていたそうだ。
みんなで彼女の仕事復帰を喜んだ。

そして、それから2週間ほど経ったある日。
仕事中にゴミ置き場の周りを掃除していた彼女は、近くにあった段ボール箱に足を取られ、バランスを崩し転倒。
今度は左手首を骨折してしまったのだ。

再び大きなギブスをはめ、職場に顔を出した彼女はすっかりしょげ返り、うなだれた面持ちで、

”どうしてこんなことになってしまったのか。。。
私ね、神さまに手を合わせて尋ねているの。
’あなたはどうしてこんな試練を私に与えてくださるのですか’って”

と嘆いた。
私は、彼女を元気づけるつもりでこういった。

”きっと神さまはあなたにお休みを与えてくださっているんじゃないかしら。
あなたはこれまで休む間もなく働いてきたでしょ。
’もうそんなにがむしゃらに働かなくてもいいんですよ’
っておっしゃっているんじゃないかしら”

そして夏もそろそろ終盤に差しかかるつい先日、彼女が再び職場に戻ってきた。
懸命なリハビリの甲斐もあって、手首もほぼ以前と同じように動かせるようになったそうだ。

仕事の合間に彼女は嬉しそうに、あるサイトを見せてくれた。
それは、彼女の息子さんが来週、州都のサクラメントでスピーチをするというものだった。
彼女の息子さんはとても優秀で、国立の大学を卒業後、大学院に進み、さらに博士号を取得し、国の研究機関で働いているとのこと。
にこやかに微笑む彼は、彼女によく似ていた。

”いい息子さんだね。
凄いね!
あなたはもう、すっかり安心してゆっくりできる身なのに、どうしてそんなに身を粉にして働くの?”

すると彼女はこう言いました。

”私ね、身体を動かして働いている時間がとても好きなの。
私は10人兄弟の長女として育ってね。
物心ついてから母のお手伝いと幼い兄弟の世話をずっとしてきたの。
当時のメキシコは本当に貧しくて、私の仕事は毎日の畑仕事の補助の傍ら、家事全般を引き受けていたの。
特に大変だったのは、お洗濯でね。
洗濯板を持って近くの川で洗うんだけれど、大家族の分の洗濯となると半日がかり。
本当に大変だった。。。

それが、カリフォルニアに来て洗濯機を使い始めたとき、
’あ〜、なんて素晴らしいものがあるのかしら!’
って何度も思ったものよ。
だってスイッチ一つ押すだけで、全て自動で洗濯をしてくれるんだもの。

あの頃の苦労を考えたら、今の仕事なんて屁みたいなもの。笑
しかもお金までいただける。
こんな幸せなことって、ほかにあるかしら?”

なんだか目から鱗だった。

側から見たら、常に身を粉にして働いている彼女は 
なんて大変なのかしら?って思っていたのに、
当の本人は毎日喜びに包まれながら、心から感謝の気持ちいっぱいで生きているのだ。

人の幸せの尺度や価値観って本当に千差万別。
そんな中で彼女の謙虚さ、生きる姿勢、そして溢れ出る感謝の心に改めて魅力を感じた、そんな1日でした。

 






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