Glass Gallery BOHEMIANを始めるまでの話 その3

実は2007年当時、勤めていたエスニック系洋服兼雑貨屋の会社の正式に社員になるか、起業して洋服屋をやるかどうかというところで悩んでいた。
当時の会社には不満も多く、売上を上げろと上司が言うものの、売上が上がりそうな企画を提案したところでやらせてもらえない、と言うようなことが多くもどかしさを感じていたが一人で起業するにも洋服屋は長く続けていくには競合他社が多く、どうしたら良いのか悩んでいた。

その時に下北沢にあるいつも通っていた個人経営の洋服屋の店長さんに、悩みを打ち明けたところ

お店やるなら若いうちにやった方が良いよ!


ズバッときた⚡
まさにカミナリに打たれたような衝撃💥
よしっ 店やろう!!そう思えた。
多分その店長さんはそこまで考えて言葉を発してなかったと思うが、僕には背中を押してもらえたように感じた!

店長さんが言うには、その人はお店をやり始めたのが結構年齢的に遅く、勢いや体力や、もし失敗した時に再起できるかなど考えると若い方が絶対に良いよと言われたが、当時27歳で今年41歳の自分にはそれはすごくわかる。
勢い・体力・失敗した時など考えると、40歳から店を起業するにはなかなかシンドイ😖

そして運命を感じるB.A.E 2007は横浜で開催だった。
(2005 2006は渋谷のスペースエッジで開催。2008以降はすべて渋谷で2010まで開催)

いつも土日に休みがない僕は、たまたまその日の土曜日に休みが取れた。
何をして過ごそうか考えいる時にB.A.E 2007のフライヤーをもらっていたことに気づき、行くしかないじゃん!となるわけだ。
開催月は確か4月の春先だった気がする。
2005も2006も行けなかったB.A.Eにようやく行けるワクワク感があるなかで、人見知りもあるからすごく緊張もしていた。
それで会場内に入って思ったのは

日本人のボロシリケイトガラス作家ってこんなに多くいたのか!


僕が知っていたのはガラス作家はその時、5人くらいだった。
会場には30名くらいいた気がする。
(実際にはもう少し少ないかも💦)
個々でまったく違うデザインを作ってる人が多くて、一人一人見るのにもすごく時間がかかった。

でも楽しかった!

その中でも一人、作品を見てたら気さくに話しかけてくれた某作家がいてずっと話していた。
その人は2006年のB.A.Eでガラスを知ってから、やり始めて1年くらいだと言った。
1年でこんなに上手くなるのかと思った。
しかも来月から海外にガラスの修行に1年行くと言った。
なんてアクティブなんだ!
でもこの当時みんなこんな感じだった。
ガラスを習う場所なんてほとんどなかったから、ほとんどが海外で習うか、富山のスパイラルアーツが多かった。

海外ではアメリカのボブの所で習う人が多かった。
ボブはボロシリケイトガラスアートのパイオニアで、オレゴン州ユージーンに工房を構えている。

スパイラルアーツは日本のボロシリケイトガラスのパイオニアで、富山に工房を構えている。
2000年代前半にはガラスを教えてくれるところは、スパイラルアーツしかなかった。
確か1ヶ月とか長時間をかけて教えるというワークショップをやっていた。

話を戻そう、B.A.Eは会場内で制作のデモを行っていた。
しかも1人ではなくコラボデモだ。
ちょうどShanti Glassがデモをやっていた。相手は誰だったか忘れてしまった。
Shanti Glassはその時に何回か話してる作家だったから、デモが見れて嬉しかった。
見てる人はみんなサングラスしてて最初不思議に思ったが、後に理解した。
ガラス制作は専用のメガネが無いと火に中が見れないと。

何もかもが衝撃的で、感動した!
十分堪能して帰る時にふと思った。



ガラス作家30人も集めたら専門店ができるぞ💥


当時ガラスペンダントを扱っているところは前に書いたが、洋服を扱っていたりとガラスペンダントは少量というイメージだった。ガラスを専門的に扱ってるにはエクソダスくらいで、エクソダスはガラスパイプが中心だった。
1人1人が異なるデザインを作るなら、花という題材1つとってもまったく違うデザインなら、お店でいろんな花のペンダントが見れて自分の好みの作品に出会えるお店が作れるかもと思った。
まだ誰も知る人の少ないこのガラスアートなら、競合店も少ないし、今後の成長も見込める。
ちょうど下北沢のお店での件があった直後で、洋服屋は続けていくのは大変そうだからガラス屋を2007年内に出店しようと思った。

そして当時勤めていた会社を半年後の2007年の10月いっぱいで辞めて、起業することを決めるのであった。
当時勤めていた会社の上司には辞めるなと止められるかなと思っていたが、直訴したところすんなり辞めさせてくれるようでもあったし、起業した後もこの上司には何かと助けられた。

かくして店を辞めると宣言してから半年後にボヘミアンを起業することがこれで決まった!

続く…

サンペイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?