見出し画像

本当にコスパの悪い考え方だと思う

cotreeに入ってから、色々な人が「生きづらさ」を抱えているのを知りました。

事業を通して、メンタルヘルス界隈の情報を通して、確かに悩んでいる人がいることを知りました。(僕は心理のバックグラウンドは全く無い人間で、cotreeに入るまでメンタルの問題なんて甘えだと思っていました、、、)

メンタルの問題は身近にある、ということを知れたのは本当に一生物の財産です。

一方で、そういった人たちが身近にいないであろう友だちや同級生と話すと、「他人の生きづらさなんてそこまで知らない方がラクに生きれたんじゃないか」と思ってしまったこともありました。

悲しい感情を知るだけ、気分がどうしてもへこんでしまうからです。仮にお仕事を通して何かの役に立てたとしても、その人たちの感情、背景を本当に理解することは到底できないのだろうと思うと、無力感でいっぱいになります。

そういったこともあり、最近では自分の感情をへこませることはプライベートにおいてはミュートしていました。実際、その方が幸せになれてしまいました。自分の周りの人間関係だけに集中して、自分のためになる情報だけ得て、自分の幸せを高め続けることが心地よかったです。(cotreeにいる時は切り替えて仕事モードになれたと思います。)

でも、最近ちょっと余裕が出てきて、違和感を持つようになってきました。
なんというか、知ってしまったからには避けてはいけない、と思うようになったのです。それは特別何か活動をするとかではなく、何かを言う/言わないようにするとか、そういった人たちがいることを常に忘れない、といった日常レベルの話です。

人は、自分の感情の存在を否定されるととても傷つきます。

「その感情をいだくのはおかしい」とか、
「そんな気持ちになるのが理解できない」とか。

良い/悪い以前に、相手から存在を見てもらえないというのは結構苦しいものです。なので、彼彼女らの気持ちを理解はできなくても知ってはいる存在として自分がいる、ということには多少意味があると思っています。

この考えは、僕のただのエゴです。善意ではないです。義務とか責任感みたいなものとして自分の中に位置付けておかないと、このモヤモヤした感情を消したくなってしまうのです。でも、この感情を消すことはそれこそ、自分の今までの時間、感情の存在の否定になってしまいます。だから位置付けて、消したくないのです。

ほんとうにコスパの悪い考え方だと思います。自分のことで全然精一杯です。でも、自分に集中してもどうしても消えなかった感情だからもうしょうがないのだと思います。

全てに向き合い続ける必要はないと思いますが、全てを事実として受け止め続けることは大切だと思う派です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?