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閉塞感が生み出した敵は、幻だったのかもしれない


10月某日


日帰り女満別の経緯

2週間ぶりの北海道。

今回の目的は、直接顔を合わさなければならない方々に会う、というそれだけ。

ものすごくざっくり言うと、旅館業の許可を取れる場所だと思ってたら取れない場所だったので、特例で取れるかどうか相談したい、というところ。

明らかに国道沿いの家をお借りしたのだが、区分的には国道沿いではなかった。ここは法律上は旅館業を実施できる場所ではなく、民泊新法に則っても北海道の条例が厳しいため思っていた通りのことができない。そんな細かいところで制限する?と思った。

このときは、地元である遠軽町の役場は、どうせ固いから何もしてくれないだろうな、と思っていた。それでも顔を合わせて喋らないとなにも始まらないから、顔を合わせて喋ろうと思った。


不動産屋さん、保健所にて

午前4時30分、起床。始発便に乗るために羽田へ。2時間くらいしか寝てなかったけど、吉祥寺から羽田へのバスではあまり寝られず。

午前6時55分、羽田空港発。羽田発の女満別行きでもあまり寝られず。

午前8時10分、女満別空港到着。明らかに母校と思われる修学旅行の生徒がいるが、卒業して10年、もう知っている先生なんて誰も居なかった。おれは21歳ではなく28歳だった。

きれいな秋晴れ。紅葉真っ盛りのすごくいいタイミング。女満別のセブンで朝食のパンとコーヒーを買って70km運転。気持ちいい。

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午前10時。遠軽町に到着し、不動産屋さんへ。担当の方もベテランの方も旅館業まわりのルールをめっちゃ調べてくれて、ベテランの方が長く関わりのある役場の建築まわりの人をめっちゃ声かけてつないでくれた。役場の職員の方を5人くらい呼んでくださって、午後からひとりで役場に行くことに。ありがてえ……緊張するやん!

不動産屋さんの社長さんが、まちの本屋さん「計文堂」でぼくの本「田舎の未来」を買ってくださっていたらしい。本当にありがたい。計文堂には息子さん、小・中学校の1つ下の後輩が最近帰ってきていて、頑張っているようである。担当の方は東京で働いていて最近地元の遠軽に帰ってきたらしく、広告代理店時代の話などをちょっとした。

午前11時。ちょっと時間ができたので、その足で保健所へ。事前に電話で聞いたときは割と適当に対応されたが、やはり保健所に足を運んで顔を合わせて話すとだいたい優しいし、ちゃんと話を聞いてくれる。こういうこととこういうことやりたいんですよね……というと、それを実現する方法を一緒に考えてくれる。やさしい……。

旅館業と飲食店営業の両立、飲食店営業と喫茶店営業の違い、細かいルールなど、聞きたいことは聞けるだけ聞けた。普通にウェブでのやり取りに慣れてる人となら、サッとドキュメント共有してウェブ通話で成立することだけど、田舎だとやっぱり対面じゃないと成立しない。FAXがあれば電話でもいけるのかもしれないが。FAX買うか?

午後0時。実家は犬がうるさいし猫アレルギーなのでできれば帰りたくない。同じ町内のばあちゃんちに行こうと思うが、特に事前に連絡もしていないお昼に急に行っても、ご飯で気を使わせてしまうのはあれだし、午後の打ち合わせまで時間がなかったので、コープで弁当を買って向かう。とりあえず弁当だけ食べさせて〜と上がるも、結局めっちゃごはん出してくれるばあちゃん。なんでそんなおかずのストックあるん?


町役場へ

午後1時。遠軽町役場に到着。なんと不動産屋さんのベテランの方が役場で待ってくださっていた。優しすぎかよ……??役場のご担当の方が3名ほど来てくださり、お話する。最初は形式通りのルールの説明を受けるが、こちらのやりたいことを詳しく説明するとちゃんと聞いてくれて、なぜルールを超えてでも旅館業がこの場所で必要なのかということについても、よく理解してくださる。その上で特例が適応可能かということについても真摯に聞いてくださった。

結論からいうと、遠軽町に特例を判断する権限がなかったため、北海道庁に申請を行うことになった。もちろん役場の人でも例外を含めたすべてのルールを熟知しているわけではないので、ぼくの問い合わせに対して過去の事例などを確認してくださった。ぼくが事前に思っていたような、決して「めんどくさいことをやりたくないから断ろうとしている」わけではなかった。不動産屋さんのベテランさんも一緒に希望を伝えてくださった。

なんか普通に応援されて、素直に嬉しかった。

最後の最後に、かつで役場で働いていたじいちゃんの話をしたら、3人中2人がじいちゃんのことをよく知っていた。じいちゃんと一緒に働いていたらしい。全然偉いポジションではなかったし、もう退職して20年近くなるのに。前もじいちゃんは役場の人を紹介してくださったことがあったが、その時も快く話を聞いてくださったりした。嫌な顔をされないじいちゃんの人格に感謝。言葉でいうとなんか薄いけど。

とりあえず振興局に相談してみます、ということでその場は終わり。不動産屋さんのベテランの方にも、借りているところを早くうまく使えるようにします、とお礼を言い別れる。


岩へ

午後2時。とりあえず予定していたことは全部終わり。帰りの飛行機は午後8時。車を遠軽に置いていく必要があるので、遠軽から女満別空港へは、公共交通機関を乗り継いで3時間くらい。まだ時間ある。

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終わったあと、なんだか胸がいっぱいになってしまい、車でふらっとまちなかを走った。久しぶりに、まちの真ん中にある崖、瞰望岩にのぼろうと思った。

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暇すぎた小学生のとき、友達と何度も自転車で登った坂。永遠に登るような坂だと思っていたが、車だと1分もあれば登りきれてしまう。

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瞰望岩の裏側。ここからは歩いて登る。

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街の名前の由来にもなっている、高さ78mの崖。

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ここも何度となく登ったが、今回は2,3年ぶりな気がする。

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あずまやのあたりがほぼ頂上。

IMG_1995のコピー

人口2万人を切った小さな町の中心部が一望できる。逆に、ここ瞰望岩の頂上は街のどこからでも見ることが出来る。

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全然リアリティのない高さだが、ここから先は80m下である。柵はない。


岩にて

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自分が地元でやる理由ってなんだろうと思った。ここまできてまちを見渡して、ノスタルジックな思いに浸ってみたところで、全然地元に対して「愛着」という気持ちではないし、未だにやっぱり「憎しみ」のような気持ちのほうが大きい。

それでも、役場で働いていたじいちゃんの孫だということで受け入れてくださる方が何人もいたり、打ち合わせには居なかったけどすぐそばに居た役場の役職のある方も、おれも昔からお世話になっている母の同級生であったりした。不動産屋さんも(もちろん利益のためということが大前提だろうけども)こんな若者の取り組みに対してもまちのことを真剣に考えて、できるだけ新しい取り組みがやりやすいようにしてくださった。

「田舎の未来」でも最初の方に書いたが、ぼくの原動力は、田舎を楽しくしてくれなかった、田舎が田舎であることに文句ばかり言っていた人たち、そういう環境に対しての復讐のような気持ち、あのときの自分を救いたい、というような気持ちであった。いまもたぶんそうだ。

確かに具体的なアクションをなにも起こせていない人たちといると、文句が聞こえてくるばかりであった。でも最近そこを突き抜けることが増えてきた気がする。文句ばかり言って何もしない人たちの世界を突き抜けてしまえば、文句ばかり言わずにできることをやっている人たちの世界がある。それはぼくが思っていたほど悪くはなかった。いろんな人が真剣にやろうとする動きを応援してくれているような感じがあった。

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顔を合わせずに話す相手のお願いを断ることは簡単だし、文句を言うことも簡単だ。普段わざわざ役場に交渉しに来るような人はいない。でも実際に話しにきたら、思っていたほど悪い人ではないし、すごくちゃんと話を聞いてくれたりする。田舎のコミュニケーションツールの限界と、田舎のコミュニケーションの良さの両方が、顔を合わせた会話で加速する。

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遠軽町の真ん中を流れる湧別川にかかる国道の橋、遠軽橋。

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もうひとつの橋、いわね大橋は、3年前に台風が直撃して橋桁が傾いた。来年の開通に向けて修理が進んでいる。


空港へ

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午後3時。やることなくなったし、オフィスもコワーキングスペースもスタバもマックもないのでばあちゃんちで仕事。午後5時のJRの快速北見行きで空港に向かうことにする。

午後4時。ばあちゃんがごはんを出してくれた。お昼食べきれなかった卵焼き、ハラミと玉ねぎの炒めものをフライパンでダイレクトに。あとは漬物とか焼き魚とか。

気がつけば29の歳になっていた。この歳になってお盆でも正月でもないのに、ばあちゃんちでご飯食べて帰る、みたいなことができるなんて思わなかった。まあ、ものすごい額のお金を吹っ飛ばしているわけだけども。

でも、当たり前ながら、29の役割も出てくる。この歳になってやれることが増えてくるということは、やらなきゃいけない役割も増えてくるということだ。それを変に背負い込まずに、楽しんでやれるか。自然にそうなるのではなく、どんどん加速して先取りしていけるか。それに尽きるのかもしれない。

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ばあちゃんは9月で80になった。10年後、ばあちゃんが90になったときに、こんなふらっと飯食いにくるみたいなことができているかわからないし、おれが39になったときに、まだこれと同じ状況だったらそれはそれでやばい。「次はいつ来るのさ?」と毎回聞かれるが、いうて毎月来てる。また来月末に来ますね。

午後5時。じいちゃんが駅まで車で送ってくれる。駅までは2,3キロ。歩いていくには遠い。バスの運転手だったじいちゃんはぼくが子どもの頃、車でひたすらいろんな所に連れて行ってくれたが、もう80手前になり、隣町の北見まで車で1時間走るのもあまり自信がない様子。自分が誇りを持ってやっていた仕事、そしてきっと好きであっただろう身体行為ができなくなるのは、どういう気持ちだろうか。

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晴れた日の日が暮れる頃、遠軽ではこの辺にカラスが集まる。こういう、人の営みとは別に、いつも起こること、そういうことを感じながら暮らすこと。それは都会ではできない暮らしだし、谷くんが言ってた「オレ、ていねいな暮らしがしたいのかもしれない」っていうことにも近いのかもしれない。

午後7時半。電車とバスを乗り継いで女満別空港に到着。何度も何度も来ているが今回も何となくお土産を買う。

午後10時。羽田空港に到着。初めて乗る羽田→吉祥寺のバス。ほぼ満載なので窮屈で電車より数百円高いが、電車で荻窪まで帰るのとほぼ時間も変わらなかった。これありだな。

午後11時半。荻窪の家に帰る。長い1日の終わり。明日は7時バスタ新宿のバスで飛騨へ。


何もしなくても時は過ぎるし、何かやってても時はどんどん過ぎる。もうだいぶ自分の時間に対して入ってくる仕事量の限界を迎えてきたし、その中で人にパスできそうなことも増えてきた。それをちゃんと、周りの人と協力してパスできる形にして、然るべき人にパスする。そうしていくことでしか光は見えない。最近はもうだいぶよくわからなくなってきたが、やれることをやる。北海道は150年しかなくても、瞰望岩は730万年前からそこにある。

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さのかずや10月のプレイリストです。kunnecupはアイヌ語で「月」という意味です。



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生きよう
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Freelance BizDev, Technologist / 新規事業と技術演出 http://sanokazuya0306.com