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「格差社会を象徴している」しかお前の語彙ないんか?~映画評論の評論~

クソおもんねえ映画ってあるじゃないですか。
最初からクソおもんねえなら開始15分で観るのやめるから良いんですけど(映画館ではなく配信を家で見ている時の話)、なまじ途中まで面白くて、「この映画これから、どうなっちゃうの~!?」って思ってたら伏線一個も回収せずにエンドを迎える映画。

考察を読む

これはもしかして私が何かを見落としているのか?と思って「映画名 考察」で検索するわけです。
そうするとnoteとかにね、「○○の感想とか「○○の考察」とか記事が上がっているわけですね。

「このシーンは現代の格差社会を象徴しています」

はいー。
はいでたー。
はい、でたー。

皆さんはなぜ映画を見ていますか?私は映画を通じて楽しい気持ちや面白い気持ちになりたいから見ています。もちろんホラー映画やBADENDで陰鬱な気持ちになるときもありますが、それはそれで感情の振れ幅があるので良いことです。
少なくとも私は「現代社会における課題を映画を通じて考えたい」なんて一ミリも思っていません。というかそれを考えるには映画は不適でしょ。世の中に腐るほどある本や論文を読んだほうがいいでしょ。

ですが自称映画評論家の人たち、「いかにして監督がこのシーンに込めた隠されたメッセージを見つけるか?」を競っています。実質的には「ウォーリーを探せ」とやっていることが一緒です。
映画も面白くなければ評論も面白くねえ。

抽象的な話だけだと分かりづらいと思うので、一つ例を上げましょう。
「プラットフォーム」という映画があります。

できれば予告編を見てほしいんですけど、見れない人のために簡単なあらすじを書きます。
ここからラストのネタバレまで書くので、読むかどうかは自己判断で!






主人公は中央に穴の空いた、コンクリートの部屋で目覚めます。
壁には「48」の数字。上と下にも同じ部屋があり、この数字は階数が地下48階であることを表しているようです。
向かいには一人のおじさんがおり、どうやらこの場所は長いようで色々と教えてくれます。
一定時間に一度、穴へ食料の載ったテーブルが降りてきます。これは地下1階から2階、3階と順に食べられており、主人公のいる48階に来る頃にはほとんど残飯しかありません。48階で残飯しかないということは、100階、あるいは、200階になれば・・・?

すっげー面白そうな設定だと思いませんか?
実際途中まですっげー面白いんですよね。視聴者を飽きさせないように様々なトラブルが起こり、回想の形でこの部屋はなにか?何が起こっているのか?という問いに対するヒントが出されます。

が!しかし!

ラストは投げっぱなし。え?結局これなんやったん?で終わります。

記事冒頭の話に戻ります。
「プラットフォーム 考察」で検索しました。
プラットフォームを絶賛している人、結構いました。

「この映画は現代の格差社会を象徴している」
みーんなこれ。

知らねーよ。

私が見たかったのは現代の格差社会じゃなくて!
この世界はどうなっていて!
どんな理由で主人公はここに入っていて!
これからどうしていくのか!
そういう話だったの!!!
「主人公が入っていたこの階の数字は聖書における○○と一緒で・・・」とか!そういう話じゃないから!!!

せめて「主人公はたぶんここでこういう気持ちだったんだと思う」とか「このラストの後はこういう感じになると思う」みたいな話を「考察」と呼んでほしい。

以上、自称知識人の映画評論家たちに対するアンチテーゼでした。
この記事は「現代における格差社会を象徴」していません。悪しからず。

ちなみに私がおすすめの映画はハッピー・デス・デイです。考察0でも楽しめるよ。


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