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懐かしさとワクワクの狭間で、また今日から旅が始められることを。

東海道新幹線が、嫌いだった。

せっかく席に座れたのに、名古屋あたりに停車するとイライラした顔(恐らく通勤客)のおじさんすぐ脇の通路にが立っていることも、車内紙がないことも(いつか「トランヴェール」に自分の書いた文章を載せてもらうのが夢なくらい大ファン)、大好きな地元から離れていくというその道のりも、全部全部嫌いだった。

だというのに。

2022年5月某日。わたしは、東京発広島行きののぞみの車内で、浅草は今半のお弁当を口にしていた。ここ最近食べたお弁当の中で、ダントツに美味しかったもんだから、不覚にも泣きそうになりながら「この弁当を新幹線の中で食べるというイベントのために、東海道新幹線に乗ってもいいかもしれないな」なんて罰当たりなことを考えていた。


旅に出る。

多分それは、わたしの一種のライフワークのようになっていたんじゃないかと思う。

ちょっと心がざわつくから、山登りに行こう。

なにも考えたくないから、温泉に行こう。

そうすることで、心と身体のバランスがうまく調和していくことを、本能的に感じていたのかもしれない。

旅に出られなくなったこの数年で、少しずつ、でも着実に深呼吸の仕方がわからなくなっていった。心を、身体を整えるには、深呼吸が必要」だと、ブレインジムやらなんやらと呼吸法を教えてもらったけれど、どうも大きな息が吸えない。

あんなにも悩んでいたつっかえの全部が、ひとくち、またひとくちと箸を進めるたびにほぐれていく。食べ終えてしまうのが惜しくて、ちょっとずつ、深呼吸しながら。

あぁ。旅をするということは、生きていくことと同義なのかもしれないな。

京都駅で新幹線を降りると、自分でもびっくりするくらいに大きく息が吸えた。多分、身体中の空気が関東のものから関西のものに入れ替わってしまったんじゃないだろうか。

ムワッとしたその生暖かい風と、べったりと纏わりついてくるその湿度は、生まれて初めて実家から離れて暮らす不安感と緊張を連想させたけれど、今は、もう違う。

新しく始まる旅と、あの頃の感覚が愛おしい思い出としてわたしに纏わりついてくる。

懐かしさとワクワクの狭間で、また今日から旅が始められることを、静かに、でも晴れやかに、嬉しく、幸せに思ってる。

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