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もし、彼女だったら。

同じ2月生まれの友達と、毎年誕生会と称して集まりご飯を食べている。ご飯と一緒に恒例になっているのが、プレゼント交換。

小さい頃、誕生日の何が嬉しかったかって、周りの人たちからプレゼントをもらうことだった。サプライズもいいけれど、「これが欲しい!」を遠慮なく言えるこの日がホントにホントに待ち遠しかった。

大人になった今も、誕生日にプレゼントをいただくことはある。でも、なかなか「これが欲しい!」と大きな声では言えなくなってきたから。わたしたちの誕生会は、欲しいものリストをお互いに出し合ってその中からプレゼントを選ぶことにしている。

今年、彼女から送られてきた欲しいものリストに入っていたのは「お鍋」。
スポーツマンの彼氏さんと同棲している彼女は、日々栄養バランスを考えてお料理をしていて。ここ数年、キッチン用品を贈るのが恒例になっている。

ある程度目星をつけて行ったのは、わたしのお気に入りの雑貨屋さん。確か、ここなら予算と同じくらいのお鍋が手に入るはず。

予想通り、彼女と決めた上限額ギリギリくらいのかわいいお鍋がディスプレイされていた。形は即決。

問題は、色。彼女から送られてきたイメージ写真は、白。でも、色にこだわりがあったわけではないらしく「赤以外だったらなんでもいい」と言われていた。

目の前に並んでいるお鍋は2つ。1つは、ピンク。もう一つは、ネイビー。

もしわたしだったら、即決でピンクを購入した。桜色で、すっごくかわいらしい。このお鍋がわたしの家のキッチンにあったら、絶対に毎日が楽しくなる。
そう思いながら、ピンクのお鍋を手にとり、眺める。

でもでも、今回はプレゼント。彼女だったら、どちら色のお鍋を買うだろうか。
そう思いながら、ピンクのお鍋をディスプレイに戻す。

うーん。

悩みに悩んで、ネイビーのお鍋をレジへと持っていった。彼女だったら、きっとネイビーを選ぶ。そう思ったから。

わたしと彼女は同じ人ではないから、生活も性格も価値観も異なる。だから「もしわたしだったら」は、危険だなぁと常々思っていて。

というのも。遡ること4年前。当時大学生だったわたしは、教育実習生として子どもとかかわっていた。指導案をもっていくと、指導教員の先生から一言

誰のことを思い浮かべて書いたの?

そう問われた。実習先が聴覚支援学校だったこともあり、子どもの実態と自分をあまりにも重ねすぎてしまっていて

もしわたしだったら

の思考でその指導案を書いたわたしがそこにはいた。

その日から、彼女に取って今必要なことはなんだろうと問いながら実習に臨んだ。すると、彼女のできることや課題が次々と浮かんできて、指導案は大きく変わった。

誰かのことを思っているのに「もしわたしだったら」と考えるのは、究極の自己満足だったみたいで。あれから、誰かのことを思うときには「もし相手だったら」そう考えるようにしている。

もちろん、相手の心が読めるわけではない。それでも、相手の気持ちや考えを知りたいという気持ちをもって相手と関わっていくことを忘れないようにしたいなぁと常々思うのです。

あー、誕生会が楽しみだな。わくわく。

今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい☺︎



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