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「夢幻回航」8回 酎ハイ呑兵衛

鬼の支配が切れたのだろうか。
鬼が外へ逃げ出してしまってから、猶は脱力してくずおれてしまった。
沙都子は猶を抱きとめた。

猶はほんの数秒で意識が戻った。
「鬼の意識が流れ込んできて、やつの目的がわかりました」
「?」
「やつの目的は封筒に入った手紙です。手紙の中に書かれていることは、仲間が横領したお金の流れです。どうやら過激派やテロ組織に流れていたようなのです。小林さんはその証拠を掴んでいたらしいのです」
猶は一息に言葉を並べてから、また気を失ってしまった。

コントロールされている時に、鬼の思考が流れ込んできたということか。
世機は記憶を探ってみる。
確かコントロールされる側に思考が流れるなんてことはないはずなのだけれど、なにか原因があるのかな。
猶の能力?
不確かな要因だけれども、これだけ細かく言えるのはどういうことか。
まあ、精神病の中にはこういう設定の細かい嘘をつく者も居るらしいからな。
でも、猶が嘘を言ったり病気だったりすることはないと思うのだが・・・。

「しかし、どうしようか、コレ」
沙都子が辺りの惨状を見回して、額に手を当てた。

遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
騒ぎを聞きつけて、誰かが通報でもしたのかも知れない。

鬼も世機たちも結界を張らなかったから、騒ぎを見られでもしたか。
とにかくモタモタと時間を浪費するわけには行かなかった。
急いで壊れた玄関ドアから外へ逃げ出した。

猶が気を失ったままなので、車は仕方なく世機が運転することにした。
沙都子も運転したがったが、猶の介抱をしてもらうことにした。
オレが触って怪我の確認なんて出来ないものな!
世機はそそくさと運転席に潜り込んだ。

猶はしばらくしてから気がついた。
外傷はなかったようで、気がついてからも痛がったりしなかった。
露出している肌からは、血が流れたあとや傷などはないように見えた。
沙都子は猶を楽な格好にしてあげた。
狭い車の後部座席に足をくの字に曲げて、猶を寝かせたのだ。
そして膝枕で優しく頭を庇ってあげた。
猶はまたすぐに気絶してしまった。

「ベルトできないから気をつけてね」
沙都子は言ってから猶を支える手に力を入れた。
「分かっているって」
と言ってから世機は車をスタートさせた。
電気自動車なのでスタートはトラブルもなく上手くいった。
音も静かで、スムーズな加速だ。
このモデルは、高性能の水素発電機を搭載しているので、燃料さえあれば電池切れの心配もなく走行ができる。

「先生の所へ行くか」
世機が言った。
この先生というのは沙都子と世機の師匠ではない。
全日本呪術師連盟のお抱え医師である岩本佐治(いわもと さじ)のことである。

「佐治先生の所は、ここからだと40キロはあるよ」
沙都子が猶をシートから落ちないように押さえながら言った。
「あそこは慣れているってのもあるけれど、なんか他の先生には任せたくない気がするんだよね」
「霊的な感?」
「というかやっぱり慣れなのかな」
「嫌な感じがする?」
「そうだな〜」
こういった世機の感はよく当たるのだ。
モヤモヤするとかイヤな感じがすると言った時の世機の感覚的な判断は、信用に値すると沙都子は思っている。
その感覚で何度も窮地を救われている。
だが、当の世機はと言うと、その感覚に頼ることもなく、あくまで理性的に物事を処理しようとする。
今まではそれが世機の持ち味となっているのだが、今回は吉と出るのだろうか。

沙都子も予感のようなものを抱いてはいる。
しかし明確な不安ではないので、彼女は口にしなかった。
だが今回の相手に対しては少し危うい気がしてならない。
何が危ういのかそれも予感的なものでしかない。
だが、2度も3度も先手を取られていることから、楽勝で勝ちきれる相手ではないという思いが沙都子の脳裏にも浮かぶ。

沙都子は猶から視線を離して、ぼんやりと窓の外を眺めた。
明確な不安ではないと言ったが、事件の先が霧の向こうに隠れているようで何も見えていないのが気に入らなかった。
流れ過ぎる車窓の景色を見ていると、早くこの状況をなんとかしなければならないと思う。

世機はタクシーのナビ機能は使わないで目的地を目指していた。
もちろんナビは切っておいたのだが、いつの間にか自動的に画面が表示されていた。
通知音が響いたので、沙都子と世機の注意がナビの画面に向いた。
そういえばこんな機能もあったんだっけ?
世機は画面に写った丸メガネの可愛らしい女子の顔に見覚えがあった。

「こんにちは、山村紅葉だよ、よっろしくね〜」
まるでロボットの音声。
いや、これは本当に合成音声での挨拶。
通信機能。
「紅葉さんがなにかようでも?」
沙都子が答える。
世機は運転に集中しないといけないので、対応は沙都子に任せることにした。

カタカタカタと、パソコンのキーを叩く音が響く。
「業務連絡です」
またしても合成音だ。
しかも言葉がふざけた言い回しに聞こえるような抑揚の付け方である。
「業務連絡ですか」
沙都子はイライラする気持ちを悟られないように、落ち着いたトーンで言葉を選んだ。

また打鍵音が響く。
「この事件に協会がどの様に関与しているかですが、少しだけわかりました」
本当にこのロボ音声は人を苛つかせるな、と、沙都子は思いつつも、紅葉の次のメッセージを待った。
「協会は小林さんからお金を奪った組織を追っていたらしいのです」
「里神翔子等を追っていたという事ですか」
またキーを叩く音が響く。
「詳しいことはまだ分かっていませんが、協会は敵ではないということです」
「あなた方はどこへ向かっているのですか?」
紅葉は一気に続けて、さらに沙都子たちに問いかけてきた。
「ドクター佐治のところよ」
沙都子が答えると、またカタカタカタと音が響く。
「ではそこに、協会からの協力チームに行ってもらいます」
「こちらで鬼との接触があったのだけれど、分かったことを伝えておくわね・・・」
沙都子は猶が倒れる前に言ったことをそのまま伝えた。

「わかりました。協会の人にも伝えたほうがいいでしょう。ご苦労さまでした」
紅葉の合成音は、ひょうけた調子を終始保ったまま通信が切れた。
沙都子は紅葉の態度に腹を立てたが、前に会った時はもっと非道かったのを思い出して、それでもマシになっているのかなとも思った。
多少ではあるが、紅葉の事情を知っていたので、思うところはあっても、本人には言わないでおいた。
だが、今度直接合うことがあったら、そのときには言ってやろうかなとは思っている。
通話が終わり、紅葉が画面から消えるのを見て、沙都子は紅葉の容姿がが可愛らしくて、その事が癪に触っているのを意識しないようにしている自分に、笑ってしまった。

「楽しそうだな」
自分の心中など知らない世機の言葉に苛立ちを覚えながらも、沙都子は協会からの協力者のことをどう戦略に入れるべきか思いを巡らせてみる。
「会ってみないとな」
「?」
「頼りになるやつだと良いけれどな、協会の人たち」
どうやら世機も同じことを考えていたらしい。

いつの間にかドクター佐治の診療所の近くまで来ていることに、沙都子はやっと気がついた。
ドクター佐治の診療所は、郊外の森の近くにあった。
鬱蒼と茂る森を後ろに、廃校となった小学校を買い取って改装した診療所が建っていた。
小学校の建物だあから、診療所としてはかなり広い。
病院と言ってもいいくらいの大きさはあった。

沙都子と世機の2人は猶を車に中に残して、病院の中へと入っていった。
中央のかなり広い神殿のような石造りの玄関を入っていくと、受付と書かれた窓口と、少し広くなった廊下に6個ほどの長椅子を置いただけの待合所があった。
廃校と言ってもコンクリートと石造りのしっかりした建物である。
廊下の照明は、節電の意味もあって消灯していたが、窓からの明かりだけでも充分に明るかった。

廊下の先に診察室と書かれた看板があった。
教室の一角を板で仕切って改装しただけのものであったが、内装と色調はかなり洗練されているように思えた。

開け放たれた引き戸を潜ると、中で医師がタバコを加えていた!
「受付は通ったのか?世機」
ガッチリとした体格の標準的な身長の男だった。
「受付は誰も居なかったよ」
「またサボっているのか、あいつ」
医師は良い、タバコを灰皿に押し付けた。
灰皿も溢れそうなくらい吸い殻で一杯だった。

沙都子はさも煙たそうに目を閉じたり開いたり、口元に手を当てて軽く咳をしてみせたりて、反対の掌で煙りを払う仕草さえしてみせた。
「診察室でタバコなんて、あんた本当に医者なの?」
沙都子はまだ煙たそうに言った。
それからタバコの匂いに我慢がならないと、臭そうに鼻をつまんだ。

「なんだ、沙都子、居たのか、オレはがさつな女は見えねぇんだ」
ドクター佐治の言葉に、沙都子のこめかみがピクリと動く。
「本当はアンタの所になんて来たくないんだけれどね、患者さんよ」
「どこに居る」
患者と聞くと、それでも医者の心が動くのか、顔つきが変わった。
眼光も幾分鋭く見える。

3人はストレッチャーを用意して、車の所へ向かう。

猶を車から引き出してストレッチャーに乗せると、診察室の更に奥の処置室に連れて行った。

「本当にあいつはどこへ行ったんだ?」
ドクター佐治はぼやいた。
「なんの話をしているんですか」
世機が佐治に尋ねる。
「助手を入れたんだけれどね」
「助手?アンタが?」
沙都子が言う。
「アンタのことだから、巨乳の美女でも金で引っ張ってきたの?」
「馬鹿言うなよ!ちゃんとした弟子だよ」
佐治は少し魔を置いて、さもさも残念そうに、「男だよ、お前好みのイケメンだぜ、沙都子よー」
「イケメンね、それは楽しみ」
こんなやり取りをしながらも、3人は上手く連携して備え付けのベットに猶を寝かせる。

ドクター佐治の診療は、普通の診療とはわけが違う。
心霊治療という類のもので、普通の医師のように器具や薬など使わないのだ。
主に気の流れを見る。
更には霊気というものを見ていく。
生体エネルギーのようなものを利用したり、体のエネルギーが流れやすいようにして、霊障を治してゆくのだ。

ドクター佐治はじっと猶を見ていたが、フウと溜息をついて肩の力を抜いた。
「こいつは単なる霊振だな」
「霊振」
世機が尋ねる。
「霊振ってのはな、霊波の干渉だな。操られたときにでも、霊波が共振を起こしたんだよ。彼女はその衝撃で気絶しているだけだ」
「その時に、相手の記憶など見えることがあるの?」と、沙都子。
「あるな、その子の能力にもよるが、あるよ」
やはり猶の能力なのか。

「しばらく寝かせてやりな、その間、ゆっくりしていきなよ」
ドクター佐治は2人に言うと、休憩室へ案内した。
どうせ客など来ないから、良い話し相手が来たと思っているのだろう。

この診療所はいわばお祓い所のようなものである。
世機たち実践部隊が仕事をしたときにその場では対処できないほどの霊障を負った一般人や術師たちが治療に来るところである。
たまに伝を頼って霊障を治療に来る者も居るが、それ以外は本当に客など来ないのだ。

佐治がお茶を持って来てくれた。
「お茶菓子がほしいね」
沙都子が少々贅沢なお願いをしてみる。
「ねぇよ、そんなもん」
ドクター佐治がぶっきらぼうに答えた。
「ねぇのか、残念」
沙都子は笑いながら答えた。

ドクター佐治とはかなり長い付き合いである。
佐治のほうが5つばかり年上で、修行時代に怪我をすると、まだ見習いの佐治が2人を治療してくれたのだ。
修行時代は難しい相手は先生が相手をしてくれた。
沙都子と世機と慎は雑魚しか相手をしていなかったから、霊障も軽く済んだのだ。
治療師佐治の格好の練習台だった。

「同盟本部から連絡は来ているよ」
佐治が言った。
「相変わらず紅葉ちゃんは可愛いね」
鼻の下が少しだけ伸びている気がする。
佐治はゆっくりとお茶を入れ直す。

世機は紅葉が可愛いというところに頷いてしまってから、沙都子の冷たい視線を感じて思わず背筋を伸ばした。
「かわいい、ね!」
トゲのある言い方に、世機は思わず笑ってしまった。
「協会の人はいつ来るの」
世機がお茶をすすりながら聞く。
佐治も一口お茶を飲み込んで答えた。
「もう少し待ってろや」
「ねぇ、あんた達ってさ、協会とも付き合いがあるんでしょ」
沙都子は佐治に尋ねた。
「ああ、治療師は少ねぇからな」

協会、連盟ともに治療師の育成には力を入れているのだが、ヒーラー能力はなかなか稀有で見つけられない。
そこへきて更に戦闘職よりも人気がなかった。
ヒーリング能力者は戦闘時にも役に立つので、治療師にはならずに戦闘職につく者も多かった。
そんな人気スキルの持ち主である佐治だが、彼が治療師になったのにはそれなりの事情があった。

佐治の家は普通人の家系だった。
霊能力とは無縁の家系だったのだ。
だが、父親は医師で、母が薬剤師だった。

子供の頃から父親の営むクリニックで手伝いをしていたのだが、佐治が高校生くらいの時に一人の子供が左足に出来物ができたと言って診察に来た。
父は不在だったが、出来物くらいならばと軽い気持ちで患部を見た。
その時に患部から立ち昇る黒い霊気が見えてしまったのだ。
そして何も考えなしに、ただ身体が動いた。
感覚だけで患部に手を添えて撫でる動作をしていた。
すると見る間に患部が治り始めたのである。
佐治自身目を見張る体験だったという。
黒い煙のようなものがモクモクと上がり、それとともに出来物が治ってゆくのである。

出来物を治してやってからふと子供の顔を見ると、ニッコリと笑って、眼の前からスッと消えてしまった。
その時の子供が女の子だったか男の子だったか、佐治はハッキリと思い出せないという。
あとで治療師の師匠に聞いたら、神仏にでも気に入られたのだろうと言う話だった。
佐治はその時から奇妙な感覚が目覚めて、霊感のようなものが発露した。
更に心霊や呪術の関与する事件に巻き込まれる事も多くなって、治療師の師匠と知り合い、今に至る。
佐治の父親の経営するクリニックはと言うと、彼の妹が女医として継いでいる。

神霊に導かれてこの世界に入ったものは居るには居るが、珍しい存在であることのかわりはない。
だが、特別視されるわけもなく、佐治も普通の治療師として修行している。
それでも特別なことはあった。
佐治のところには比較的難しい症例の霊障や怪我をした患者が来ることが多く、ドクター佐治といえば、術師の世界ではちょっと有名な存在になってゆくのである。

佐治がタバコに火を点けようと口に咥えると、咥えたタバコを沙都子が取り上げる。
佐治は「チッ」と舌打ちしてもう一本、ポケットから取り出したタバコの箱から取り出す。
沙都子は素早くそれも取り上げる。
「おい、タバコくらい吸わせろよ」
佐治が非難の目を沙都子に向けたところで、来客があることを知らせるブザーが低く鳴った。
「チッ」
佐治はタバコの箱をポケットに仕舞うと、頭をかきながら立ち上がった。

協会からの協力者が来たのだ。
佐治が連れて戻ってきた。

人数は2人、こちらも男女のペアである。
男は如月淳也(きさらぎじゅんや)と名乗った。
身長も体格も標準的なものである。
容姿も沙都子の好みではなかった。
女は如月順子(きさらぎじゅんこ)と名乗った。
こちらは身長が沙都子とほぼ同じくらいで、女性としては高身長だった。
体つきは沙都子よりも華奢に見えた。
年齢は見た目ではよくわからなかった。

身体から漂うオーラが、歴戦の雰囲気を伝えていた。

「椅子が足りねぇな」
佐治は一同を小上がりの畳に座るように促した。

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夢幻回航

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