見出し画像

嘘と秘密の臨床的知見

大人は子どもに「嘘をついてはいけない」と言うし、子どもが親に何か「秘密」の隠しごとをしていると咎められたりする。

けれども、ベタに「嘘がいけない」とか「親に秘密があってはいけない」というのはやはり病的であるのです。

むしろ、秘密を持つことは子どもが親から自立するときに、儀式的と言ってもよいくらい大切なことでもあるのです。

しかしここでも、ベタに秘密を理解すると、一歩間違えれば子どもが不良少年・少女の道へと進むことになりかねないので、要は、私たち大人が「嘘」や「秘密」について全人的に成熟したかたちで理解することのように思うのです。

心理学者・河合隼雄の『子どもと悪』という本には「嘘・秘密・性」という章にはこんな風に書かれています。

秘密は、それを持つことによって他人との間に「距離」を保つことができる。一心同体ではない。これは言いかえると、秘密を持つと、他人との間に「へだたり」ができて、孤独に陥る、ということにもなる。秘密はまったく諸刃の剣である。したがって、秘密を持つ人が、それをどのように抱きかかえているかが重要な鍵となってくる。………日本の教師で、生徒のいろいろな個人的なことをやたらにききたがる人がいる。家族はどんな人かにはじまって、昨日は何をしていた、今は何を考えているなどなど。「ききたがりの病」に罹っているとでも言いたいほどである。こんなことは欧米では絶対に許容されない。これはもともと日本における理想的人間関係というのが、一心同体という表現で示されるように、お互いの間に何ら秘密もない、という考えになっているからである。

河合隼雄 1997年『子どもと悪』岩波書店

つまり、ちょっと前までの日本人の人間関係のつくり方というのは「私がそう思うのだからあなたもそう思うでしょ」的な、あるいは「自分がやられて嫌なことは人にはしない」的なもので、一心同体的であることが美徳でしたし、「忖度すれば他人の気持ちはわかる」ということが暗黙の前提でもあったわけです。

けれども、もはやそれは病的になってきていて、今日でいうところの共依存やDV、自己愛性パーソナリティと深い関係があると感じます。

臨床的に言いますと、共依存関係やDV関係にある人たちは、二人の間に「秘密」を持っていて、周囲の人たちに対して「嘘」をついていることが多いのです。

この知見は、私は決定的に重要な気がしています。

ひとりで「秘密」を抱えることができずに(マインドが子どものため)、パートナーを巻き込むのです。

共依存やDVから離脱するには握らされている「秘密」を第三者に開示することが重要な契機であって、このときに第三者がセカンド・ハラスメントにならないことがほんとうに大切です。

つい数年前まで、私たち日本人は、何でもあけすけに話していないと「水臭いよぉ」などといって、何でも「ぶっちゃける」ことが、親密さの証であるような感覚がありました。

けれども、親密な関係を適切にキープするには「水臭い」ことこそが大切なのです。

例えば、私たちが相手に何か秘密にしたいことがあれば「いまは話したくない」と伝えること、そしてそれを聞いた相手は「そうか、わかった。話せるようになったら話してね」と、そういうやりとりができるのが健康的で成熟した関係であると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?