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こころの矛盾したしくみ

精神科医・滝川一廣さんの『子どものための精神医学』を読んでいます。木村敏さん、中井久夫さんに師事されていたそうです。

木村敏さんの『あいだ』という本は、間主観性をつかむうえでの良書。

その滝川さんによると、こころは次のように述べられます。

あくまで個体の内側、個々の脳内部の体験世界でありながら、その個体の外側、脳の外部に深いつながりとひろがりをもった共同の世界であることが、〈こころ〉と呼ばれるもののしくみで、これは矛盾したといえば矛盾した構造である。哲学ではこれを「間主観性」と呼んでいる。この矛盾した構造に〈こころ〉という現象の急所がひそんでいるのかもしれない。

滝川一廣 2017年『子どもの精神医学』

さらに、「精神発達とは、子どもがこうした共同的な〈こころ〉のしくみを獲得していくプロセスと考えることができる」と続けます。

つまり、「個」として独立した主体として生きるということと、「個」と「個」が共同的に相互に依存し合いながら社会的な生活を営むということとは、そもそも相反しているのです。

しかし、人間はこの矛盾する事柄を成立させることで生きながらえており、そのために機能しているのが〈こころ〉ということができるでしょう。

してみれば、私はやっぱり個人心理学はちょっと苦手で、それよりも精神医学のこうした見解の方が馴染みがあるし、実際に有益なものだと思うのです。

滝川さんによれば、「精神医学の課題は、さまざまな精神障害における「人とのかかわりにまつわる直接的な困難や苦しみ」のあり方を掘り下げて理解し、そこへのケアや支援の道を探ることにある」と述べられます。

素晴らしい問題提起だと思いました。あきらかに、精神障害に負のレッテルを貼って病理化し排除する傾向とは逆のベクトルです。ちなみに、精神障害の「障害」は英語ではdisorderであることを、あまり知らない方がいるようです。

滝川さんのこの本は、子どもの発達障害へのアプローチに関心がおありの方には必読してほしい一冊です。

関係の中での情動調律的な応答は、できれば子どもの頃にたっぷりと経験しておきたいもの。

大人になってからでも遅くはありませんが、そもそもご自身が傷ついていることに自覚をもてないと、心理療法がはじまらないからです。

DV加害者が反省できない(むしろ、自分は被害者と思っている)のには、このあたりのことが関係しているように思います。

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