蝶々の地図

風の強い晩だった。
外の音がうるさくて、布団に入って横になっているのになかなか寝付けない。
しっかりと目を閉じていても風の音は頭の中まで入ってきて、今は小さいこどもの姿になって暗いすみの方にいる。こどもは私に何か言いたそうにしているので近寄ってみたら、走っていって暗闇の奥へ吸い込まれるように消えてしまった。

こんなふうに眠れない夜は、部屋にある引き出しの中身について考えることにしている。考えるだけで起き上がって実際にやってみるわけではないのだけれど、目に留まった引き出しを開けて、中に何か気になるものがあったら取り出して眺め、また仕舞う。そのくりかえし。眠れないときに何となくする、子供の頃からの癖みたいなものだった。
日によってそれは洋服ダンスだったり、食料品を閉まってある戸棚の奥だったりするのだけれど、今日は窓際に置いてある机の引き出しのことを思い浮かべていた。

子供の頃から使っている学習机の一番上の引き出しを開けると、くしゃくしゃのティッシュペーパーに包まれた白い石が入っている。さわるといつでもひんやりしていて、火照った肌には気持ちいい。石の表面は金色の砂をふりかけたようにきらきらしていて、昔はよく畳の上に寝ころび、日の光にかざして眺めていた。

この石には名前があって『蝶々の地図』という。私は胸の中でそう呼んでいた。

石をもらった日のことをたまに思いだす。



小学校最後の年の夏だった。
林間学校で、クラスメートたちと山小屋みたいなところに出かけて寝泊りしていた。
確か朝方に自由時間があって、私はダリアと湖のほとりを散歩していた。すると白っぽい石ころがたくさんある場所に出た。私たちはそこの石を持ち帰りたくなって、何か目ぼしい綺麗なものはないか、しゃがみこんで探すことにした。
よく晴れている日で、まだ朝早い時間帯だったけれどすでに日差しは強烈で、うつむくと首の後ろがジリジリと熱く、自分の影が真っ黒くなっているのがみえた。これだという石がなかなか見つからなかったので、私はいったん木陰に入って休むことにした。木陰の下からダリアのほうを観察していたら、ダリアはそれに気づいて笑い、私に向かって大きく手を振ってきた。手に何か持っているから、もう石はみつけたようだった。この暑さでも全然平気そうで、私はもう自分の顔が真っ赤になっているのが見なくてもわかるくらいなのに、ダリアの顔色はいつもと変わらずだった。

おおーい、集合時間だよお、と誰かが呼ぶ声が聞こえてきたので、私たちは引き返すことにした。

かけ足で来た道を戻る最中、ダリアが綺麗な石をみつけたんだと言って、手のひらに乗せた石を見せてくれた。みてみると、向こう側にうっすら灰色が透けてみえる乳白色の石で、全体が金色の砂をまぶしてあるようにきらきらしている。私はすごく綺麗だと思ったけれど、なんだか思った通りにそのまま言うのが悔しくて、何も言えずに黙っていた。それでもダリアは気に留めず、そっちはどう?なんて無邪気に聞いてくるから、時間がなくて拾えなかったのと返すと自分が思っていたのとは違う、なんだか怒ってるみたいな泣きたいみたいな変な声が出てしまった。私はきまり悪くなって、ダリアのことを置いて、集合場所まで走って行ってしまった。

その日は結局、ダリアとは口を利かないまま夜になってしまった。夕食をすませて入浴した後も、部屋の皆はまだお喋りやカードゲームに興じていたけれど、私は早々にベッドに潜り込んで眠ってしまうことにした。明日はもう家に帰る日だというのに、思いがけずこんなふうに惨めな思いでいるのが悲しく、目をつむったらじわりと涙が滲んできた。

夜中、お手洗いに入るために部屋を出たところで、ちょうど廊下の向こう側からダリアが歩いてくるのがみえた。私はダリアと顔を合わせたくなかったので、急ぎ足で廊下を通り過ぎた。用を済ませて部屋に戻ると、扉の前でダリアが立って待っていた。ダリアはむっつり怒ったような顔をしていたので、私はぎくりとした。それからダリアは私の腕をひっぱっていき、部屋から離れる方向に向かうと窓の外を指差して、にやっと笑った。私は急に楽しい気持ちになってきて、でも笑い出したいのを必死にこらえて、コクリとうなずいた。

その日は月のひかりの強い晩で、外に出てみると辺りは薄明るく、真夜中なのに建物や木々の下に黒い影がくっきりとみえた。
しんと静かなのに自然の中だからか空気が濃厚で、すうっと自分の意識が目覚めていくのがわかった。さっきまでベッドの中にいたことが、なんだか不思議な感じがした。

夜の森を通り抜けて、ダリアと湖のほとりを歩いていく。私たちは朝に見つけた白い石ころがいっぱいあるところを探していた。
確かこの辺りだったかなというところまで来たので、二人でかがんで石を探しはじめた。月の光に照らされた石たちはどれもひっそりと美しく、私はとても幸せな気持ちになり、くすくす笑いがこみあげてきた。ダリアも近くで笑っていた。私は連れてきてくれたダリアに心からありがとうと思った。
これだという石を見つけたので、私はダリアにそろそろ部屋に戻ろうと言った。とても楽しかったから、いつまでもここにいたかったけれど、暗い森のざわつく音を耳にしたりすると、ふっと我に返って、やはり夜に外にいるのは怖いことだと思い出してしまうのだった。

ダリアが帰る前に私が拾った石を見せてほしいと言うので渡すと、きれいだと言ってほめてくれた。私もダリアの石を見せてもらいたくてお願いすると、今朝拾った石だけど、と言ってポケットの中から出してくれた。今は拾わなくてもいいの?と聞くと、ひとつあれば充分だからと言った。

朝にも見せてもらったけれど改めてこうして目にしてみても、ダリアの石はやはり綺麗だと思った。そして私は今度は何の苦しさもなく、すごく綺麗だねと口にしていた。
するとダリアは、私が拾った石の方がほしいから、よかったらここで交換しないかと言いだした。私は内心ダリアの石のほうが良いと思っていたので、少しびっくりしたのだけれど、喜んで応じた。

石を受け取ったときに、ダリアが何か言ったのがきこえた。ごく微かな声でよく聞き取れなかったので、私は尋ねてみた。

『ねえ、今なんて言ったの?』

『・・・蝶々の地図。』

『どういう意味?』

『そういう名前の、古い言い伝えがあるんだ。』

『どんなお話なの?』

『・・・何というのかな、おまじないみたいなものだよ。大切な人に贈り物をするときに使うんだ。
地図は人を導くものだけど、用がない人が見てもなんの役にも立たないでしょう。そこに行きたいという人があらわれたときに初めて、意味のあるものになる。その人にとって必要な情報をいろいろと教えてくれる。
道や、山や、信号の名前だったり、そういう風景が浮かび上がってきて、その人が行きたいところにたどり着くためのヒントを与えてくれる。
渡したものが、相手にとっての良い地図になりますように・・・そういうことなのかな。』

ダリアはゆっくりと、まるで自分自身に確かめるような感じで、私にそう説明してくれた。
途中で言葉が止まった時にそっと顔をうかがってみたら、とても真剣な表情をしていて、何かふさわしい言葉はないか、必死に選んでいるのが伝わってきた。
私はだまってダリアの隣に立ち、ダリアが話すのを待って、続く言葉をとりこぼすことがないよう、耳をそばだてて聞いていた。
何かとても大事なことを教わっているような気がして、意識を集中させて息をひそめていたせいか、なんだか胸が苦しかった。

それから私も、蝶々の地図と小さな声で唱えてみた。

そしてダリアに自分の石を渡すと、ダリアは何も言わずに静かにうなずいて受け取り、ポケットの中に仕舞っていた。



私はベッドから起き上がって、実際に机の前に立ち、一番上の引き出しを開けてみた。
そして引き出しの中から石を取り出すと、まわりのティッシュペーパーの包みは捨てて、石を窓辺のところに置いた。

それから何か温かいものでも飲もうと思い、台所へお湯を沸かしに行った。

マグカッブにお茶をなみなみ注いで口をつけたら、熱い水面がゆらりとして天井にある蛍光灯のあかりと、それから大きな翅のようなものがみえた。翅はふるふる震えて、今にも羽ばたきそう。部屋の中にいるのに、変だと思った。

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ペンネームは昔に友達が見た夢からいただきました。そういう名前の謎の街が、夢の中に存在していたのでした。 詳しくはこちらのnoteをどうぞ 「さよならの都」https://note.com/sango_no_miya_ko/n/n9b5edfd892ad