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「かして」「いいよ」の先に

先日、おぎさんのnoteを、何度も頷きながら読んだ。

我が家のお砂場理論|おぎ @wasurenbotanuki #note https://note.com/wasurenbotanuki/n/nf39d7155e6de

私が、娘と児童館や子育て支援センターに行くようになり、保育士の時には感じたことのなかった違和感があった。

それは、娘が使っているものを欲しいとやって来た子が娘に嫌と言われた時の目線。戸惑ったようにまっすぐに娘でなく私を見るのだ。

まるで、
(この子かしてくれないんですけど、お母さんどうにかしてください)
というような目線。

保育園で物の貸し借りは日常茶飯事だ。1歳2歳ぐらいだと保育者は間にたって、「Aちゃんも使いたくなっちゃった?」とか、「Bくんまだ使いたいんだって、どうしようか」とか、お互いの思いを言葉にしながらも、どっちの気持ちも大切にすることを心がけてきた。
「もう一個あるかな、一緒に探そうか」と言って、かして欲しい子と同じものを探しにいったり、「『いいよ』の気持ちになったら貸してくれる?」と使っている子に聞いてみたら、案外少ししたらいいよと貸してくれることもある。
折り合いがつかないで、取り合いの引っ張りっこになることもある。

そんなとき、子ども達は相手を見てる。

取り合いは、保育者的には煙たいものではない。時には(これはチャンス!)とさえ思ったりする。

それは気持ちと気持ちのぶつかり合い。

怪我をしないよう手を出す場面では防ぐようにつとめながら、思いっきり気持ちを出せたらいいねと思う。

自分の気持ちを知って、相手の気持ちも知って、折り合いをつけていく練習。

普段とられても平気な顔してた子が、これだけはと手放さない!とか、

普段やんちゃな子がそんな相手をみて、(おぬし、なかなかやるな)と、認めあったりとか、

周りの子が「こっちにも素敵なのあるよ」とばかり代わりのものを持ってきてくれたりだとか、

それはもう、そこからドラマが生まれて成長することがたくさんあるからだ。

自分の気持ちの出し方。
終わったら貸すから待っててね、等、きもちの伝え方。
自分の気持ちの折り合いの付け方。
相手の気持ちを知る機会。
自分の大事にしたいものを知る機会。

それが貸し借りに凝縮されている。
優しい気持ちを育む上でも、自分の気持ちを大事にすることは最初のステップ。その基礎がないと、相手もだいじにできない。

そう思って保育してきたから、

「かして」したのにいいよしてくれないけど、この子なんとかしてください。

と言わんばかりの目が気になって仕方がなかった。

「かして」には「いいよ」と言わなくては優しくないからダメという空気。娘が遊びたそうにすれば、我が子が遊んでいる真っ最中でも、貸してくれようとする、知らないお母さんの優しさを全力で止めたくなった。

しかし、親という立場は難しい。

「おねえちやん(知らない子を私はそう呼ぶことが多い)が貸したくなかったら貸さなくていいんですよ!!」
という言葉は、本気で言っても謙遜に聞こえてしまい、「いえいえ、この子、他でも大丈夫ですからっ!」と、ますますその子からおもちゃを取り上げてしまうことになったりした。大丈夫かどうかはその子が決めていい。でも、なかなか伝わらないよなぁ。そうだよなぁ。優しい世界だから余計になぁ。
立場って難しい。
日本語って難しい。。。

だから、私はママ友を作ることにした。
育児支援センターのスタッフをちらっとやったのもあいまって、最初から身分を明かし、
1歳くらいの小さい時期に「かして」言えないのが当然だし、「いいよ」なんて言わないのが当たり前という発達について話し、今いっぱい練習してるとこなんだよねという共通認識のもと、「かして」に必ずしも「いいよ」と言わなくてもいい、という空気を作っていった。

逆にいえばそれは、貸してもらえない子に対して「○○も欲しかったねぇ」と、本人の母が言っても、(だから、貸しなさいよ)という圧力に聞こえない空気を目指し、我が子への共感をしやすくしたいなとも思っていた。

そうこうしているうちに、娘となにかとぶつかる同じ月齢の男の子と友達になった。
仮にさんちゃんとする。
1歳から遊んでいたが、さんちゃんと娘は、公園で遊んでもそこらじゅうにある枝の中で同じものを欲しがるそんなタイプで、それはもうお互い一歩も譲らず、時に手が出たり、しゃべれない頃からくんずほぐれつの取り合いをしてきた。

さんちゃんのお母さんとは合意の上。母たちは怪我がないか見守りつつ、間に入っていた。

娘もさんちゃんも3歳。
今では、お互いに「さんちゃんこっち使ったら?」「娘ちゃんこっちで遊ぼう」「こっちはダメなんだよ、これ使って」などと、あの手この手で二人だけでやり取りすることも増えた。もちろんお互いに強い気性は変わらないので思うがままにはされまいとぶつかり合いながらも、こちらが少し間に入るだけで折り合いがつけられるようになってきた。
(ただし、眠くなくおなかがすいていない時にかぎる)
さんちゃんも娘も、お互いのトラブルの時は母に助けを求めない。むしろ止めてくれるなという感じか。

それで、二人の仲が険悪になったか、というと……
娘にとってさんちゃんは、ケンカするのは嫌らしいが、さんちゃんとドロドロびしゃびしゃになって爆発的に面白い遊びもできるので、大事なお友だちのようだ。とっても楽しそう。

先日、私が夫とケンカになったときに、ためしに娘に「さんちゃんとはよくケンカするけどどうやって仲直りするの?」と聞いてみた。
すると娘、「お花をあげるのよ」と即答。
なるほど。ごめんねいいよのかわりに、お花をあげる、受けとるで、お互いに気持ちを届けていたんだなぁ!だから、後腐れなくまたすぐに遊べるんだなぁ。感心してしまった。

ついこの間、さんちゃんが何かの拍子で心折れて大泣きしたことがあった。
元気付けようと、ママたちがいろいろ声をかけて見るけどダメ。
と、娘が走って遠くにいったかと思ったら、走って何か抱えて戻ってきた。
さんちゃんのお茶の水筒。
「おちゃを飲めば元気が出るよ」
差し出す娘と、受けとるさんちゃん。
相手の気持ちをぶつけ合ってきたからこそ、相手が悲しいとき、どんなことをしてあげたら嬉しいかも考えられるのかもしれない。
気持ちが温かくなった。

それでも娘はまだ3歳。これからもたくさんぶつかって、ケンカして相手の気持ちや自分の気持ちを知っていくだろう。

どこまで純粋に保証してあげられるか。
難しいけど、「かして」に「いいよ」じゃなくてもいいんだ、というおぎさんの記事が、お母さんたちや世間にもっともっと広まればいいな、と思った。

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