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ママやめました

夜中、どれだけ遅くに寝ても、たたき起こされるのは私だけなのだ。3連休も。

連休1日目、二日酔いの夫は、例のごとく朝も起きずにずっと寝ていた。朝御飯も昼御飯もいらないと言う。夜になってようやく復活してくる。

2日目、友人たちからのお誘いで、公園で遊ぶことになった。遊び倒して夕方帰ってくると、夫が寝起きの顔して起きてきた。

実は1日目の夜、2日目の予定が決まったときに、私からある提案させて頂いた。
『3日目は、パパがママになってくれる?私は(休日の)パパになるわ』
平日は全部やっているから(手抜きだけど)、休日はなるべくシェアしたい私の訴えは、もう前々からずっと続いていたので、
パパは私の気持ちを感じとりオッケーしてくれ、次の日に「今日はママとお友達と公園で遊び、明日はパパとおデートの日よ」と娘に告げ、

その次の日、無事にその一日は始まった。
ママをやめる日のスタート。
私、ママやめるってよ(古い)

さて、どうなったか。結論から言うと、
①完全にママはやめられない
②ゴロゴロはできなかった
③罪悪感があったが楽しかったと思ってしまった
④回さなくて良いって気楽だなー

という感想を持った。
それぞれひもといていきたい。長くなってすみません。

①完全にママはやめられない

まず、目覚めぱっちり系早起きの娘は、容赦なく朝私だけを起こす。枕から頭を引き剥がそうとし、衣装ケースによじ登ろうとし、おまけに今日は、どんな汚い手だって使ってやる覚悟で唾まで垂らしにかかってきた。間一髪で飛び起きたら、枕によだれをつけられた……。
さすがによだれのべっちょりついた枕に寝なおす気は起きず、泣く泣くそのまま起床。

いつも休日は二人で先に起きて、トイレに行かせ、朝御飯作って食べて終わる頃にパパが起きてくるのだが、今日はパパに声をかける。いや、たたき起こす。

娘のトイレまでは私がみて、そのあとはパパの真似事をしてみた。
朝ごはんができるまで、布団でゴロゴロして携帯を見る。
と、すぐに部屋に入ってきた娘(2歳)。
私を見つけるなり嬉しそうに乗っかってくる。
そのままじゃれあいになり、ヨガの真似事をすると、娘も短い手足で真似をする。
それもそれでのんびりと楽しくて可愛い時間。
その間パパは朝ご飯づくり。

しかし憧れの、朝御飯できたよ!と起こされるシチュエーションは、叶わず。

②ゴロゴロはできなかった

前日遊び倒してしまったがばっかりに、娘と一緒に9時前に寝落ちした私。悔しいことに、起きたらもうすっきりしていて眠れなくなった。
パパを完全再現したいと思っていたんだけどなー。が、
そこでふと気づいた。
私は夫とは違うひとなのだ。
自分がご機嫌になる方法は人によって違う。
一日携帯見ながらゴロゴロするのも最高だとは思うけど、自分だったら娘が気になっちゃうし、せっかくの娘付きじゃない休日に、普段出来ない自分の買い物をしたい。そう思ってしまった。

娘とパパは公園へ、私はこのご時世どこにいこうか迷いながら駅まで歩く。

③罪悪感があったが楽しかったと思ってしまった

正直に自分の感じたまま書きたいと思うので、もしかしたら不快に思う方もいるかもしれません。先に断っておきます。申し訳ないです。

コロナウイルスの件で全国休校から二週間以上たち、少しだけ自粛ムードが緩んだ今。
今まで地元の公園とスーパーにしか行っていなかった私は都会を甘くみていて、このご時世、すいているかなーなんて淡い期待で池袋におりたってしまっていた。
大きな本屋さんと洋服屋さんと、ロフトに行きたかったの……。

池袋は昔通りすごい人。せめてお昼は公園でと、馴染みの公園に行くと、みんな考えることが一緒なのか、桜まだまだなのにすでに花見状態の混みよう。宴会してないだけましか。

前日、スペインとイタリアに住んでいる親友と、大丈夫?とやり取りしていた。
二人とも家にほぼこもりっきりで大変という話をしていた。
なので、正直、駅構内に立ってから、浮かれて人混みに来てしまった罪悪感と背徳感、申し訳なさが頭から離れなかった。

その一方、思ったよりも世間一般の人は、こもらずに普通に過ごしているんだなと、安心したような、逆に不安になるような、不思議な気持ちにもなった。
お店はちょっと営業時間を短縮しただけ(意味がどれ程あるのか)、化粧品のお試しがなくなり、トイレの風で手を乾かすのが止められている、外国の人が減り、日本人が圧倒的に多い。気づいた違いはそれくらい。
レストランは入らなかったので分からないが、私の知っているいつもの休日の池袋だった。むしろわんさか人がいた。

こどもたちは休校になり、遊ぶ場所も取り上げられているのに、大人はそんなに我慢してないんだなと思った。いや、それとも今まで我慢しての、今の反動なのかな。

そして、何より色々感じているはずの自分自身が、久しぶりに来た都会(池袋だけど)にわくわくして、混んでいるからと踵をかえして帰るなんてことが出来るわけもなく、さすがに密室にはいかないが、買い物の手は止められなかった。

だって……一人って、
本屋であれこれと手に取り、迷えるのだ。
服屋で気軽に試着して良いか聞けるのだ。
三百円ショップで、「これ買う」と握りしめた謎の物をどう棚に戻すか考えなくてもいいし、
フランフランの可愛いガラスの器の横の、狭い通路を何も考えず通り抜けられる。
地下から地上へ、外から別のデパートへ、ベビーカーなしだとダンジョンじゃなくなる。

障害者とは、社会に障害を感じる人だとよく言うが、なんにでも手が延びるベビーが入ったベビーカーユーザーは障害者だ。まわりに障害が多すぎる。

そんなことを感じながら、ドンドコ歩いてドンドコずっと欲しかった物を買い集め、両手いっぱい抱えて帰ってきた。(重い荷物を持ったときだけ、ここにベビーカーがあったらと思った) 

④回さなくて良いって気楽だなー

ドアを開けると娘が走り寄ってくるという、世間のパパの至福の時間を堪能できたのは、これまた嬉しかった。

荷物を次々開けて、あるべきところに配置する。

夕飯もパパ担当。少し料理のアドバイスしつつもあとは任せっきり。夕方5時にポップコーン作ってるパパを内心気にしつつも一緒に食べて、そのあと娘をお風呂にいれて、その間に出来上がった夕飯を食べる。人が作ったご飯って美味しい。
案の定、娘はポップコーンでお腹がふくれ全然ごはんが進まず、遊びはじめて味噌汁引っかけこぼす……。

それでもなんだかんだいつもより楽だと感じたのは、家事育児の主導権を向こうに明け渡しているからだった。
何気なくしばらくテレビ見ちゃうとか、時間気にせず食卓に座って食べてるとか、おもらしパンツ洗うのでさえ寝る時間をあんまり考えず、逆算せず、今やりたいからやる、ということのできる楽さ。
今まで家族分のスケジュール管理を勝手に自分で任された気になっていて、そこに縛られていたことに気づいた。

一人で夫が休日積極的に家事を手伝ってくれないとイライラしていたが、タイムキーパーにならないと、こんなにも気楽で、こんなにもやるべきことが目に入らないのかと思った。
責任感がないからやらないんじゃなくて、責任のない役だから、次に何をしたら回せるのか見えないのだ。
全体をみてくれる人がいると、全体をみなくなる。

大勢の友達としゃべりながら歩いていると道を全然覚えられないように、誰かが導いてくれてると分かると、人は(私は)道を見ようともしない。それに似てる。
これは、大きな発見だった。

かくして、フリーデー(またの名パパデー)は、無事に終わりを遂げた。
午前中公園で娘と遊び頑張ってくれたパパは、しかし、
「こっちも案外と楽しかったよ」
という前向きな感想をくれた。

娘もパパとより仲良くなって良かったし、
私も色々発見があり、欲しいものは買え、思ってたよりもリフレッシュできた。
なにももらってきていないことを祈りつつ、またしばらく近所で頑張ろう。

おまけ。

ちなみに、夕飯を終え母親業務を終了しようとする夫に、

・躍り跳ねている娘の、歯磨き~絵本~寝かしつけ
or
・(夫が嫌いな)皿洗い

どっちがいい?と半ば強制的に選んでもらった。
最初は「寝かしつけ!!」と、即答して娘に挑んだ夫だったが、すぐに「ダメだ。やっぱり洗い物がいい」と戻ってきた。
皿は、飛び跳ねて洗わせない、とかないもんね……(笑)。

そして娘、ギリギリアウトでおもらしをしたり、本を足の上に落として泣いたり、まだ寝たくないと粘ったりしながら、最後までバッタバタでご就寝。

ようやく夫婦のドラマ&お菓子パーティーで一息着いたのだった。パパがママデーお疲れさまでした。ありがとう。

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