最後のホームラン

私の人生で、「最後のスポーツ」、それは「草野球」だ。

あれは、2011年の夏。

家族が転勤の多い職種で、当時は、海の美しい場所に住んでいた頃の話である。

蚊なのか、ブヨなのか不明だが、両足が刺されてパンパンになり、それが治って喜んだ頃。
パンパンになる前から、右足か左足か、どちらかの足が捻挫をしたように痛くて、ジョギングが出来なくなっている症状は続いていた。

「運動不足だろう。」

その時はそう思っていた、自分では。

そんなある日、家族の同僚=私の元上司を含めて何人かで、近くにある地域の球場で草野球をすることになった。

手入れはほとんどされていない、狭い球場。しかし、夜にも使用できるように、立派なライトが設備されていた。その地域にも、野球少年たちがいたからなんだろうけど。

あの少ない人数で、よく野球が出来たな、と感心しちゃうんだけど、まあ、大のおとなたちが一つの球に夢中だった。

投げる、打つ、捕る、走る。転ぶ。
追いかける。
みんなの笑い声。

みんなは、その動作が出来ていたのだけれど、私だけ出来なかった。
足が痛くて走れない。
だから、「球を打つ」のみ。
バッターボックスに入り、ただ打つだけ。
守りも走りも、足が痛くて出来ないから。

みんなには申し訳なかったが、あっちこっち打つものだから、みんなが走る、走る。

少人数の草野球、楽しい記憶しかない。

そして、

私は思い切り、バットを振って打った。
直球を、真っ直ぐに、高く、遠くに。

ホームラン!

暑い夏の、雲ひとつない青空へ。

この草野球が、私の人生で最後のスポーツとなった。

「人生最後のスポーツで、最後のホームラン」

この時は、まさかこれが、最後のスポーツになるとは思ってもみなかった。

この草野球から数日後、私は小さな診療所で「心臓の異常」を指摘され、そのまた数日後、大都市の病院に検査入院し、病名を告げられたのだった。

自分の体が、もう二度とスポーツが出来なくなるとは思ってもみなかった。

病気になってから、テレビでのスポーツ観戦は出来きなくなっていた。

『見たくない、もうスポーツ出来ないから。』

だけど、やっぱり体を動かすことが好きなのだ。
一生懸命競技に向かう姿、目標を達成した時の、笑顔が好きなのだ。

何がきっかけかわからないのだけれど、テレビの前で、個人競技や団体競技を応援している自分がいる。
まるで、自分がその競技をしているように、熱中するようになった。

「何故、そこでスパートかけないんだよ。」と、もどかしい気持ちになったり、時には、感動して涙を流すこともある。

スポーツを観て、心が動くようになったのだ。

スポーツが出来なくなってしまった自分だからこそ、見えるもの、感じるものがある。


「明日、スポーツが出来なくなってしまったら。」


なんて、考えたことはなかったけれど、私はいつも一生懸命だった。後悔はない。

今でも、私は「最後のホームラン」を打った時のことを、よく覚えている。
暑い夏が来る度に。
よく晴れた、雲ひとつない青空を見上げる度に。

私は、あのホームランを、これからもずっと忘れることはない。

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