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実は私、King&Princeが好きです。

私のジャニーズ歴は、母のお腹にいた頃から始まる。
「ジャニーズ」を知ったのは、ものごころついた頃、母の小物入れ用の引き出しを開けた時だった。

某ジャニーズグループの、ブロマイドやレコードが入っていた。

『この人たち、誰だろう。』
と思ったのを覚えている。

そして、テレビにそのグループが出る度に、母のほうを見たのだけれど、黄色い声を出すこともなかった。

私と妹が生まれる前、ファンだったのだろう。
たぶん、母の青春の1ページなのだ。
そして私は、きっと「ジャニーズグループ」が歌う曲を、母のお腹の中で聴いていたに違いない。

私は3歳から、ピアノを習い始めたのだけど、ピアノよりも歌が大好きで、家族でドライブに行く車中で、当時のアイドルの歌を歌い続けていた。歌詞カードを見ることなく、丸暗記。もちろん振り付けつきだ。

家族たちは、大迷惑だっただろう。エンドレスなのだから。
ひとりの時もあれば、妹やいとこと一緒に歌った。

このあたりから、私の夢は看護師さんから『歌手』へと変わることになる。

父の、『おねえちゃんは、歌がうまいなあ。』

この一言で、私は調子に乗ってしまったのだ。

ドラマに出演していた『ジャニーズのアイドル』が、歌って踊る姿を見る機会が多くなり、私は『テレビの向こうの人たち』に夢中になり、母と同じようにブロマイドや、レコード、雑誌を買うようになる。

完璧に、母の遺伝である。受け継いだのだ、ミーハーを。

学校の廊下で、休み時間に友人や知人を集めて、何人かでグループを作って、歌い踊り披露して拍手をもらうことに、『人前で歌う喜び、幸せ』みたいなものに目覚めてしまっていた。

そして、私の夢は『女だけど、ジャニーズに入れないかなあ?』になるのだった。
完璧に、お馬鹿である。
『宝塚に入りたい。』ではなく、『ジャニーズ事務所に入りたい。』

そのうち、受験やら部活で忙しくなり、ジャニーズではなく、ロックやメッセージ性の高いグループにのめり込むようになった。

そのうち、『ジャニーズ』という言葉は、私の口から出ることはなくなったのだった。

その間も、ジャニーズからはたくさんのグループが出てはいた。
周りのみんなが騒いでも、私は全く興味を示すことはなかった。

それが、だ。

ある日、私の心は、ジャニーズのグループに久しぶりに奪われることになる。

それが【KAT-TUN】である。
その中でも私は、『赤西仁』の大ファンになる。

《SMAP》、《嵐》にはチラ見もしなかったのに。って失礼だけども。
ファンの皆さん、ごめんなさいね。

歌とダンスを観て、鳥肌が立ったのだった。、そこだけ空気が違う気がした。

顔はもちろん、歌もダンスも声もよい。2回、妹と一緒にコンサートに行った。
ファンクラブにも入会した。

しかし、赤西仁のグループ脱退により、私のKAT-TUN好きと、赤西仁好きは終わったのだった。

KAT-TUNの後も、どんどんジャニーズグループは出てきたが、全く私には響かなかった。
ファンの皆さん、ごめんなさいね。

しかーし!だ。不定期にやってくる『ジャニーズ好きサイクル』が突然やってきた。

いい年齢(とし)して、私は『King&Prince』に夢中になってしまった。

特に『平野紫耀』と『岸優太』のファンになってしまったのだけど、グループ全体が、私の眠っていた『ジャニーズアンテナ』に反応したのだった。

バラエティやドラマも観ているけども、やっぱり、『歌とダンス』なのよ。
たぶん、ピアノを長く習っていたせいか、『絶対音感』があるので、少しでも音程が外れると、違和感を感じてしまう。

音程の外れなし。ダンスはキレッキレ!

そこに存在するだけで華があり、歌もダンスも人を惹き付けるものがあり、それぞれの個性が光り輝いている。

『枠にはまらない凄さ』、『世界に通用するであろうグループ』という、ジャニーズ歴の長い私の勘なのかしらねー。

昔のように、雑誌を買い漁ったり、ファンクラブには入らないけれど、出演するテレビ番組をチェックしたり、CDやDVDを買ったり、twitterやYou Tubeを観ている毎日だ。

読み返してみると、どんなに好きかが伝わらないし、タイトルも空気が抜けたような、バランスボールみたいになっちゃったけど、好きなことに変わらないし、若い人の好きと違うのはわかっているので、私は私の『キンプリ好き道』を進んで行こうと思う。

私の中で、『King&Prince』を超えるグループは、暫くは出ない気がしている。

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