【TOP INTERVIEW: 卑弥呼社長 新井康代】販売員から社長に!けれど、基本は何も変わらない
「なぜオリエンタルトラフィックでアルバイトを始めたかというと、もし自分で靴のデザインを考えるんだったら、まずは絶対に販売を経験するべきだと直感的に思ったからなんです」
ー靴の世界へ進もうと思ったのは、どういうことがきっかけだったんですか?
もともと靴が好きだったんですが、高校生の時にミハラヤスヒロ(MIHARA YASUHIRO)の靴と出会って、靴とファッションの関係性を考えるようになりました。それで、靴の世界にのめり込んで行ったんです。
ー三原康弘さんがブランドをスタートした、2000年代頃のことですね。
三原さんの商品を見て、靴でもいろいろな表現ができるんだということを初めて知ったんです。靴を変えるだけで気分を変えることができるし、靴が持つ力というのが分かって。ファッションも好きだったので、ファッション業界に進もうとは思っていたんですけれど、靴を仕事にすれば、服は自分の好きなブランドの服が着られるな、そのほうが自由だなと思って、それで最終的に靴の業界に入ろうと決めました。
ー靴の学校もいくつかありますが、なぜ文化服装学院(以下、文化)を選ばれたのですか?
ファッションといえば文化だなと思って。有名じゃないですか! そういうところ、少しミーハーなんです(笑)。もともと何かを作るのが好きでしたし、もちろんファッションも学べると思ったので。ファッション工芸科を選んで、1年目はバッグとアクセサリーとシューズの基礎を学んで、2年目でシューズコース(現ファッション工芸専門課程シューズデザイン科)を専攻しました。靴の世界に入るからには、構造的なことや技術的なことを理解した方が、より、その先の選択肢が拡がると思ったんです。
でも今考えると、文化に入って本当に良かったのは、先生方と出会えたことなんです。いざ働きだして分からないことがあると、すぐ先生に相談したりして。卒業後も先生と連絡は取っています。ずっと繋がってるというか、靴業界で働く私たちをずっと応援してくれているので、そういう点でも、文化に行ってよかったなと思いますね。
ーどんな学生でしたか?
正直に言うと、自分としては将来、靴のデザイナーや職人になるのは、何か違うなと感じていたんです。理由は分からないけれど、何か確信のようなものが自分の中にあって、そこだけはクリアでした。
ー若いときのそういった閃きみたいなものは、その後の人生の指針となることが多いですよね。入学と同時に始めた「オリエンタルトラフィック」でのアルバイトも影響を与えたのでしょうか?
確かに、学校に入ってすぐに始めた「オリエンタルトラフィック」のアルバイトで、販売という仕事が、もの凄く楽しかったことも関係があるかもしれませんね。なぜそこでアルバイトを始めたかというと、もし自分でデザインを考えるんだったら、まずは絶対に販売を経験するべきだと直感的に思ったからなんです。すぐデザイナーになっても、自分の考えだけでは売れる商品を作れる気がしなかったので。アルバイトであっても、もっと世の中に良い靴が出回って欲しいと思ったり、もっと靴の楽しさが広がればいいなと思っていました。販売で接客をしながら得たことも多くて、それを生かして、そこからデザイン発想することをしていったんです。その経験は、「オリエンタルトラフィック」で働きだしてから担当した、商品企画の仕事にとても生かされました。
ー「オリエンタルトラフィック」のそのショップは、下北沢にできたばかりの1号店だったと聞きました。いろいろなタイミングが合っていますね。
そうなんです、1号店でした。学生時代は下北沢に住んでいて、遊び場所も下北沢でした。ちょうどそのタイミングで、今の社長(ダブルエー代表取締役:肖 俊偉)がオリエンタルトラフィックの1号店となる、わずか4坪のお店を下北沢にオープンしたんです。新しいお店ができたなと思って、店内に入って靴を見ていたら、靴の見方が他のお客様と違っていたみたいで「業界の方ですか?」って聞かれたんです。それで、一応、靴の勉強をしている学生なんですって言ったら「働いてみませんか?」となって、そのまま働くことに。今考えると、運命的ですね。オープンして1か月経ったぐらいのときでした。
「新卒でダブルエーに入った時、もうこの会社は絶対に大きくなるって、自分で確信して入りました」
ーそういう意味では、本当に初期のメンバーなんですね。学校を卒業して、そのままダブルエーの正社員となり、「オリエンタルトラフィック」の店長に抜擢されるんですよね?
いつも通り会社に出勤したら「今日から店長だよ!」といった感じで。肖社長はショップのことは新井さんのほうが詳しいからと、すべてを任せてくれたのですが、店長修行は経験していなかったので、すべて自分で考えました。接客はどのようにして行うべきかとか、どういったサービスが必要かとか、とにかく全部です。もちろん社長に相談しながら進めるんですけれど。
ー接客スタイルでは何に重点を置いたのですか?
明るく元気な接客スタイルですね。様々な種類の靴を取り扱っているので、お客様の服のスタイルに合わせた提案もできるようにしたり。今もそうですが、当時から肖社長は、意見をよく聞いてくれるんです。だから価格はこれぐらいがいいんじゃないかとか、この色展開で出したいとか、ショップでの体験を織り込んで提案していくわけです。そのうち、企画にも意見を言うようになったりとか(笑)。そんなに言うならと、企画の担当も任されました。靴はデザインと同じぐらい、生産過程もすごく重要なんですが、そこは学生時代の知識が生かされましたね。靴は服よりもサイズが豊富なので、店頭に並べる商品数と在庫の関係を考えたり、結果として流通についても知らないといけないんです。そういうことすべてを、販売員時代に全部経験できたんですよね。スタッフで話し合いながら、日々作戦を練って工夫していったんです。
ーその後、「オリエンタルトラフィック」は合成皮革を使った、手頃な価格帯のシューズブランドとして、若い人達に急速に浸透していきましたよね。そこには新井さんの、部署間の垣根を軽やかに越えていく、柔軟性のある突破力や、フラットな関係性の構築も、大きく貢献しているように思います。
新卒でダブルエーに入った時、もうこの会社は絶対に大きくなるって、自分で確信して入りました。なぜかと言えば、ダブルエーの取り組みすべてが新しかったんですよね。流行を意識したデザインとリーズナブルな価格で商品を提供することもそうですし、スタッフである自分達が、欲しいと思えるような靴を作っていくことができましたから。同時に生産背景もすごくしっかりしてるので、これなら絶対に売れるっていう自信がありました。だからその時々で、するべきことをやってきたら、今に至ったという感じなんです。
ー「オリエンタルトラフィック」の、不要になった靴とクーポンを交換する「下取りサービス」も、消費者の気持ちに沿ったグッドアイデアだと思います。
いつも「こうだったらいいな」と思うことからスタートします。お客様と日々対峙しているので、それは自分ひとりから出てきた考えというよりは、お客様の意見だったり、従業員の考えがベースにあって、実は突飛なことはひとつもしていないんです。「下取り」というシステムも、お客様から「シューズクローゼットが埋まっていると、新しい靴が買えない」と言われたことがきっかけでした。「じゃあ、うちで下取りします!」といった感じで始まったわけです。これは「卑弥呼」にも同様のサービスとして取り入れています。
会社の規模がどれだけ大きくなっても、現場第一主義でいようとする肖社長の考え方は、私の気持ちとも一致しています。とはいえ、どんなに良い意見でも、すぐには実現できないことももちろんあります。でも、とにかく話を聞いてもらえて、なぜ出来ないのかも、はっきり言ってもらえる環境が、自分にとってとてもやり易かったから、スタッフにも同じ様にしてあげたいと思っています。あと、“普通”でいることがすごく大事かなと。
ーファッションの世界において、“普通”でいることは、実は結構難しいんですよね。
私自身が学生時代も、すごい“普通”だったんですよ。何か賞を取れるような、すごい才能を持ってる感じではなかった。でも“普通”だからこそ、お客さまの意見も身に沁みて分かるし、従業員の考えていることも分かるし、社長の考えていることも分かる。“普通”でいることを、自分の中では大事にしています。
ー先ほどからお話しに出てきています、肖社長という方は、新井さんにとって、どういう存在でしょうか? ある種、二人三脚で今まで来られましたよね?
進むべき道をちゃんと提示してくれる人です。その判断には無理が無い。着実に、必ず上に進んで行くといったところがすごくあります。
「スタッフの誰もが、いいものを作りたいという気持ちは一緒なんです。その気持ちは元から「卑弥呼」にはあります。ただそれを商品や顧客に、上手く表現できていなかっただけ。だからちょっと環境を整えれば、本来の力が発揮できると思っています」
ー昨年、「卑弥呼」がダブルエーの子会社となり、その社長に抜擢された時、どのようなことを思いましたか?
ダブルエーで会社の仕事を一通り経験し、理解してるのが私でしたから、打診された時は、なんとなく理解できました。社長って聞いちゃうとすごく大変そうですけど、基本は今までと何も変わらないんですよね。これまでも会社のためにできることをやってきたし、常に自分の実力の一歩先を与えられてきて、それをクリアしてきた。とはいえ、「卑弥呼」の商品は本革を使った国内生産で、価格帯も高いので、私にとって新しいチャレンジであることには変わりないですが。
長いファンの方からすれば「卑弥呼」といえばヒールのあるパンプスが有名ですし、それは今後も欠かせない主力商品です。歴史のあるブランドですから、何を残していくべきかは、元からいるスタッフにヒアリングをしながら、話合いながら進めています。対話をして、今はまだそうするべきじゃないと思えば、ゆっくり時間をかけて変えていくようにするとか。「卑弥呼」ブランドのリブランディングっていうところが一番大切で、どのようにして時代に合わせていくかが肝心だと思っています。
ーそこでも、対話がキーワードなんですね。
そうですね。
ー「卑弥呼」の良い部分というのはどんなところですか?
顧客さんが多くて、リピーターが多い。「卑弥呼」が一番流行っていた時代のブランドイメージを聞くと「綺麗な女の人が履いてる」っていうキーワードが浮かんできたり。いいイメージが沢山あります。ヒールの靴でも履きやすいとか。じゃあ今の「卑弥呼」ってどうなんだろうって考えたとき、多分若い世代はあまり知らないと思うんです。だから、「卑弥呼」本来の持ち味と共に、新生「卑弥呼」の魅力を、より多くのかたに伝えたいという思いで、この原宿にお店をオープンしたという経緯があります。
スタッフの誰もが、いいものを作りたいという気持ちは一緒なんです。その気持ちは元から「卑弥呼」にはあります。ただそれを商品や顧客に、上手く表現できていなかっただけ。だからちょっと環境を整えれば、本来の力が発揮できると思っています。6つあったブランドを、「卑弥呼」「HIMIKO」「卑弥呼ウォーターマッサージ」の3つに絞ったのは、複雑化したラインを「卑弥呼」初心者にも分かりやすくしたかったから。ウォーターマッサージ(water massage)というインソールの特許も持っているんですが、それですら、今後ますます進化していけるようにしていくべきだと考えています。
ーロゴも新しくしましたよね?
「卑弥呼」っていう漢字に戻したかったんです。なぜ漢字表記をやめたのか、色々聞いていくと、漢字が堅い印象で時代感に合わなくなったとか、逆の悪いイメージに受け取られる時期もあったようで。だからもう一度漢字を使うにしても、少しフェミニンなイメージにしてみようとか、ローマ字も並べてみようとか、そうやって明るい印象に軌道修正していったわけです。
ー「卑弥呼」の売り場が百貨店中心であることについて、何か工夫はされていますか?
当然といえば当然ですが、百貨店では店舗ごとの個性はあまり出せないんです。表現したくてもできないことのほうが多い。「下取り」のサービスも結果的には許可が得られたのですが、予想以上に時間はかかりました。ある程度の自由を認めてもらうには、しっかりと売上げを立てて、誰が見ても説得力のある数字を出して、理解してもらうしかないんですよね。
ーそういう意味でも、この原宿のショップは「卑弥呼」にとって、貴重な実験場ですね。
このショップは本当に「卑弥呼」ブランドイメージの発信の地として、旗艦店としてオープンしているので、しっかりとブランドの良さを伝えて欲しいと、スタッフにも伝えています。2階を予約制のフィッティングサロンにしたのも、周りを気にせずお買い物を楽しんで欲しいという考えから。靴ってフィッティングがすごい重要ですよね。足のサイズを測って、お客様に合うものをお勧めするという接客の原点を強化しつつ、新しい側面ではEC連動型ショップとして、ECでしか販売していない商品を全ラインナップ揃えて、実物に見て、フィッティングして、買うことができるようにしています。店舗とECの商品をリンクさせることで在庫をあますことなく活用できますし、それも新しくチャレンジしたところ。古き良きことと、新しい事の両方ができるお店だと思っています。
ー新井さんは、新しい仕事に向かって行くとき、変わらずに持ち続けるポリシーはありますか?
お客様第一というところですね。常に自分たちの都合で考えたりしないようには心がけています。お客様が何を望むかということに焦点を当てていくこと。お客様が今望んでいることを、お客様のために、解決したり発展させたりすることが売上につながってくるし、全部連動していると思います。そこは自分の中でブレないように気をつけていますね。
―新たなデザインを提案していくときは、お客様第一にプラスして、ちょっとした提案が必要ですよね?
「卑弥呼」は値段も高いですから、どんな場合でも、その価格に見合った、満足してもらるための“ポイント”がないといけないと思います。靴の業界でも流行はありますが、そこでも「卑弥呼」のお客様が喜んでもらえるような、“らしさ”に落とし込まないといけないと思います。どちらかというと、少しづつシフトチェンジしていくぐらいの気持ちです。ちょっとしたアクセントの変化とか、新たに卑弥呼の定番となりそうなアイテム作りを目指しています。あとは素材に妥協をしないで、いいものを使っていくことが大切。お客様って分かるんですよね。顧客なら、なおさら敏感です。すごく手を入れて作った靴は、やっぱり売れます。
ー元々いらしたスタッフとの共同作業はどんな感じでしょうか。商品部の企画チームは、何人ぐらいいらっしゃるんですか?
企画広告として6名です。みんなでいろいろやってるんですけど、すごい忙しくなっちゃって(笑)。期待以上に、めちゃめちゃ頑張ってくれています。元から「卑弥呼」にいたスタッフにしてみても、私達が加わったことで新鮮な気持ちになれたのではないかと思います。
ーこれから、新たにスタッフを採用することもあるかと思います。新井さんがお考えになる、採用の決め手は何でしょうか?
前向きな方がいいですね。何でもやってみたいっていう人の方が気になりますね。たとえば学生時代に学んだことと分野が違っていても「もう何でもチャレンジしたいです」とか「勉強させてください!」ぐらいの熱意のある人。そういう人に、「卑弥呼」を通して成長してもらえたらと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?