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『ダンジョン飯』と九井諒子のマジックリアリズム

九井諒子という漫画家をご存知だろうか。2011年に商業誌デビューし、ハルタ連載の『ダンジョン飯』をヒットさせて一躍人気作家となった。現実とファンタジーが入り混じる作風を得意とし、短編集もすでに3冊出版している。彼女の作品についてはこの記事が詳しい。(特に性別は公開されていないが、便宜的に「彼女」と表現する。性別だけではなく九井諒子氏へのインタビューやそのほか個人的情報は確認した限りほとんど存在しない)。この文章では、九井諒子の作品の変遷から『ダンジョン飯』の位置付けについて論じたい。

ダンジョン飯はなぜヒットしたのか

『ダンジョン飯』は、モンスターが住むダンジョンと、そこに眠る宝を探す冒険者たちが活躍するWizardry風の世界設定を基盤に置いている。この世界設定のもと、主人公とそのパーティーは食費を節約するためにモンスターを料理しながら、行方不明の仲間を探してダンジョンの最奥を目指す。

あらすじだけ書くといわゆる「企画モノ」的な雰囲気が漂うが(実際連載開始時点ではそうであったはずだ)、この種の作品にありがちな出落ち的な要素はほとんどない。連載から6年を経過し、全8巻が発売された後でも作品は高い質とテンションを保ち、新たなファンを獲得し続けている。読者のロイヤリティも発行部数に比べて高く。最新刊である8巻のアマゾンレビュー数は455と、ワンピースの94巻(451レビュー)を上回っている。

この作品の魅力はなんだろうか、表面的な特徴である「モンスターを調理して食べる」という変形的なグルメ漫画要素や古典的なRPGの世界観が興味を引きつける部分ももちろんあっただろうが、一番はやはりシンプルな漫画としての描写の質の高さだろう。メイン要素である「モンスターの調理」は実際に材料(スライムやマンドラゴラ、ドラゴンの肉など)がさえ手に入れば自分の家のキッチンで作れそうな気がするほど現実感を持って描かれている。

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(九井諒子、『ダンジョン飯 3巻』、KADOKAWA、2016、p183)

それだけではない、トールマン(人間)、エルフ、ドワーフ、ハーフフット(ハーフリング)など、典型的なRPGやトールキンユニバースの種族を下敷きにした、限りなくパロディ的な主人公とその仲間たちでさえも、連載か続くごとにリアリティを増し、コミカルでありながら生々しい人間関係を築き始める。結果的に、お約束の世界観の中で描かれるピンポイントのリアリズムが、もともと企画的であったはずの世界をこれ以上なく魅力的なものにしているのだ。

九井諒子の作品の類型

九井諒子による『ダンジョン飯』連載開始以前の作品として、いくつもの短編作品がある。これは現在『竜の学校は山の上』、『竜のかわいい七つの子』、『引き出しにテラリウム』という三つの短編集に収録されている。

これらの作品は大雑把に分けて四つのタイプに分類することができる。

1. マジックリアリズム型(現代神話、竜の学校は山の上)
2. クリシェ- 現実型(魔王城問題、狼は嘘をつかない)
3. ワンアイデア型(くず、犬谷家の人々)
4. 民話型(金なし白禄、子が可愛いと竜は泣く)

1の型は、現実世界に超現実的なものが侵入してくるタイプである。この描写は完全にマジックリアリズム的で、ファンタジーな要素の侵入そのものを主題とするのではなく、現実世界がそれを内包している様の描写が描かれている。例えば「竜の学校は山の上」ではドラゴンの現代日本での活用方法に悩む大学生が描かれ、現代神話ではケンタウロスと人間が共存する世界での社会問題が描かれる。

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「竜の学校は山の上」(九井諒子、『竜の学校は山の上』、イーストプレス、2011、p233)

2番目の型はクリシェ的な表面描写に退避させる形で、その裏のリアルを描くという内容のものである。「魔王城問題」では魔王討伐後の戦後処理問題と冒険のトラウマを抱えたドラクエ的な「勇者」の葛藤を描き、「えぐちみ代このスットコ訪問記」ではコミックエッセイ風の旅行記とその裏にある訪問先の貧困を描いている。

3番目のワンアイデア型はいわゆるショートショート的な、奇抜な発想を形にしたものであるが、「本来食べられない物を食べる」というテーマの作品がいくつか含まれることを指摘しておきたい(「記号を食べる」「金食い虫くん」)。

マジックリアリズム作家としての九井諒子

上の説で分類した型のうち1、2は構造としては正反対であるが、ファンタジー(幻の生き物、RPG的世界観、コミックエッセイのようなデフォルメされた描写)と現実の対比という共通したテーマを持っている。

1の「マジックリアリズム型」では超現実的なものが現代日本に侵入するという設定を使って現代を浮き彫りにし、2のクリシェ - 現実型では魔王、勇者あるいはよくあるコミックエッセイという類型的な設定を用いることによってその裏側に存在するであろう現実を描いている。したがって、変形的ではあるものの、1だけではなく2も広義のマジックリアリズムと呼んで差し支えない。

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「えぐちみ代このスットコ訪問記」(九井諒子、『ひきだしにテラリウム』、イーストプレス、2013、p94)

こうした視点から見ると、『ダンジョン飯』という作品のリアリティはむしろ当然のものであることが言える。この作品は上の分類で言えば2の「クリシェ- 現実型」と「ワンアイデア型」の融合である。マーケティング上、「RPGのパーティがダンジョンでモンスターを食べる」というワンアイデア的側面前面に押し出されていた。しかし、『ダンジョン飯』の商業的成功はこれまで繰り返し描かれてきた「クリシェ- 現実型」の要素とその魅力が正当に評価された結果であるだろう。

マジックリアリズムの真髄は、魔術的発想をリアリズムで持ってねじ伏せるところにあり、そうした意味で九井諒子の筆致は他の誰よりも現実主義的である。元々は作品の基盤であったはずの「ダンジョンでモンスターを食べる」と言うライトな企画的設定をそのリアリズムで乗りこなし、重みのある傑作にしてしまう手腕は、見事としか言いようがない。


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