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ブルーインパルスが飛んだ日 甲子園にしようと決めたこと

いつも以上に苦戦したのは、作ろうとしていたテーマが奥深くて重かったからだ。

私は彼らではないし、親御さんでもない。監督や先生でもなければ、友達でもない。
言ったら
ただのオバさんだ。
オバさんがいくら同情しても、当然何も伝わらないし、変わらない。何一つ何も起こせない…。
街頭インタビューみたいに、街のご意見ご感想のひとつに過ぎない一時的な感情だ。

『どう表現したら良いのか』

これを形にして表現したところで、なぐさめの一つ、これっぽっちにもならないだろう…
そもそも、コロナによって奪われたものが沢山ありすぎて、それをテーマにする事事態が想像以上に大変だった。

東京都のアーティスト支援プロジェクト
『アートにエールを!』という企画に応募するサンドアートの作品を
コロナをテーマに作ろうとしていた。

最初は、
世界の人々が観ても分かりやすい、万国共通の内容にしようと思っていた。
自粛生活の事、家族との時間、自分を見つめ直した時間や、人との距離の取り方、繋がり方…そして、医療従事者への感謝。

描くべきこと、サンドアートという芸術を通して、伝えるべき事は沢山あった。

『そんな時…』

一通のプリントに目をやった。
ため息が出た。
小学校6年生の娘の学校からのお知らせだった。
修学旅行中止
運動会未定
学芸会未定
6年間で一番輝く時。
この子達の卒業アルバムには、何が載るんだろうか…
マスク姿がいっぱいで…なのかもしれない…

『そして、ニュースが流れた…』

甲子園中止。
やりきれない思いでいっぱいになった。
重ねて言うけど
私は、名もなきオバさんだ。
彼等を小さい頃から見てきた訳ではないし、赤の他人だ。
けれど…
彼らが、どんな青春や人生を捧げてきたのかを考えたら、心がぎゅーとつかまれた。
全力で支え続けた親御さんの思いを考えたら…胸が痛くなった。

以前、復興支援活動で出会った吹奏楽部の子供達の顔が浮かんだ。
彼等は、県のコンクールで最優秀賞を取る常連校でもあった。
みんな、どうしているのかな…あの時のキラキラした笑顔が、ニュースに映る高校球児達のうつむく姿と、マウンドの光景に重なって見えてきた。

『その時、空にブルーインパルスが飛んだ』

医療従事者への感謝と称賛を込めてのものだった。
初めて見て何故だか強く感動した。
そして今この瞬間
沢山の人が空を見上げているだろう。

ああ…空はつながっているんだ…。

私は…
大きな事にとらわれていたかもしれない
私は…
外側だけに目を向けていたのかもしれない
私は…

私らしく
身近な思いや声に心を寄せようと思った。

医療従事者への感謝と称賛の思いは、胸の中に抱きつつ
それらはブルーインパルスとHIKAKINにゆだねる事にした。

『こうして私は』

甲子園にスポットを当て、作品を作る事にした。
とは言っても、甲子園はテーマの軸にしているだけで、インターハイやコンクール、色々な大会や試合が中止になった若者たちへ、
その努力の日々を讃え、未来へエールを送りたいと思った。

それでも多分
余計な励ましはウザいよね。
だけど、おばちゃん、
居てもたってもいられなかった。

「戦後初、甲子園中止」

文字だけが歴史に残り、いずれ教科書に載るだろう…。しかし、彼らの思いや悔しさは、人々の記憶からやがて薄れていくだろう。

その思いを砂に残そうと思った。

なかなか上手く表現出来なかったけど…
あれこれカッコつけたり、大げさにするのはやめにした。

今は気分が晴れないだろうし、笑顔にもなれないかもしれないけれど…
過去の自分が未来の自分を励ましてくれる

それだけは届けたい。そう思って、作品を作ることにした。

ブルーインパルスが飛んだ日
甲子園にしようと決めたこと

あの時空を見上げなければ、見えないものだったかもしれない。

アートにエールを!東京プロジェクト



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