フェミニズムはむしろ女性を原始化させる

先日noteで興味深い記事を読んだ。

ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、社会的・文化的につくられる性別のことを指す。一般的に社会学の文脈だと性差別は男女間の生物学的な性の違いに基づくとされることは少く、その代わりよく唱えられるのは男女差別や格差は社会規範に大きくバインドされている…といった話だ。例えば、性愛において女性が経済力のある男性を好むという事実に対して、「社会がこの問題を構成している」といった風に解釈する。

しかしこのnoteではむしろジェンダーが平等になればなるほど女性は旧来的な女性像に近づいていくのではないかという趣旨のことが書かれている。

進化心理学者のデビッドシュミットは様々な異なる文化における性差に関する調査をレビューしたところ、性格、セクシュアリティ、態度、感情、行動、認知能力など、ほとんどの心理的特性の性差は平等な性的役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダーの平等を伴う文化で顕著に大きくなる傾向が確認された。また身長、肥満、血圧など、多くの身体的特徴の性差ですら平等主義的性役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダー平等の文化ではより大きくなる傾向があったという。
国際的にも同様に所謂フェミニスト政策(feminist policies)を行う国家ほど指導的立場につく女性が少ない傾向がみられ、例えば男女平等超先進国である北欧諸国においてジェンダー基準がより平等な国ほど上級管理職の女性の割合が高くない傾向にある事が指摘されている。1例をあげると欧米において男女平等後進国とされる東欧および中央ヨーロッパの民間企業の取締役および最高経営責任者の32%は女性であるが、北欧諸国では13%である。


「人間は社会的な抑圧や柵から解放されればされるほど野生の獣に近付く」

これは私が以前から薄々思っていたことで、フェミニズムやリベラリズムに感じていることはまさしくこれである。


フェミニズムは女性の精神を原始化させるのではないか。


通常、恋愛とは「愛し合うこと」みたいに語られる。現代はロマンティックラブ的なイデオロギーが浸透した社会で基本的に恋愛を良い営み、美しい営みだとみなしていることが多い。

しかし恋愛とは、子孫残すことで遺伝子の生存をはかるという「配偶者選択」メカニズムの一部で、それは”いい遺伝子を残したい”という優生学的な極めて暴力的な欲望に他ならない。

メスが進化上において生殖戦略を遂行する場合、「一握りのモテる有能で強いオスにセックス人気を集中させる」という方にダイナミクスが動く。(この辺は進化心理学の領域で散々言われてることなのでここでは触れないことにしとく)


そしてオスはそれを食い止める立場だ。

現代以前の社会では、女性を言説や収入などによってある種の相対的弱者の地位に起き続ける事によって女性の認知をハッキングし続け、社会を安定化させてきたのではないだろうか。つまりあえてジェンダー的な格差を設けることによって
例え競争に負けた男性にでも平等に女性が分配されるような性の共産主義的な社会設計であったということ。ほとんどすべての人間が抱いている「遺伝子を生存させたい」という生物としての究極の望みや欲望にこたえようとしてきたのが、20世紀的な社会制度であったと。

こういったジェンダー規範や社会制度がなくなるとどうなるか

自由恋愛の到来。 

闘争領域の拡大である。

すなわち、フェミニズムの本質とは性的競争の激化であり、女性の地位を向上させると同時に、男性を少数の勝ち組と多数の負け組へとふるいに掛ける優生学的な構造を含んでいると考えることができる。


女性らしさへの回帰

フェミニズムは女性の地位を向上させることなのに、フェミニスト政策を行う国家ほど、指導的立場につく女性が少ない傾向がみられるのはなぜなのか?ということに関してreiさんは、社会的束縛が小さくなることで、動物的な選好が強くなり、「雄らしい雄に惹かれる」「雌らしい雌になる」からと考察している。

私はむしろどちらかというと、それが”女性側のある種の適応的行動だから”っていうのが回答としてあげられると思う。つまり、基本的には性的競争の激化により、女性側が男性側に求めるハードルは上がるわけなのだが、女性を満足させれる男性が数的に限られているとすると、女性としては、女らしい振る舞いをするという戦略に回帰するしかないのである。(男性が男性らしく振舞うより女性が女性らしく振舞う方が容易なため) 



といっても私はフェミニズムやリベラリズムを否定しているわけではない。

むしろ「男女の負担やジェンダーはできるだけ平等にすべき」っていう理念には賛同している。ただ人間としてこうあるべき/ありたいという政治的理念と、一方の性愛における原始的な欲求(ある種の非対称性や暴力性)ってかなり乖離している。さらに厄介なのは、人間はそういった自身の欲求についてあまり自覚的ではないということ。ここでいろんな諸問題が浮かび上がってくる

理念の追求がむしろ人間の原始的な選好や欲求を強くしてしまうことを考慮した上で、それらを抑止緩和する制約も必要である…という観点が今のフェミニズム論には欠けている気がする。





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