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That's all. isn't it? まあ That's it? で良いんかな?そんなことじゃないんだよね。

海外旅行なんて、基本はブルジョワのもので、貧乏人には縁遠い世界だったはずが、バックパッカーという人々が出現して、貧乏旅行というものが可能であることを実証する。

僕ら団塊ジュニアーズは、その第三世代だと思われる。第一世代は多分「ヒッピー」と呼ばれた人々で、この人たちは、手探りだったり、先行する白人たちの後をつけて、貧乏旅行の基礎を築いた。
第二世代は「アンチバブル」の人々で、経済的繁栄を謳歌する日本に疑問を感じて、外に飛び出す。
そして第三世代の僕らは、そんな先輩に憧れて旅立った。「深夜特急」であったり「迷走王ボーダー」なんかで洗脳された人も多い。この本の影響で海外で行方不明になった日本人結構いると思うよ。良い本だけど、罪作りだわなぁ。

第三世代の時代とて、スカイスキャナーやエクスペディアのような便利なアプリもなければ、LCCのような安い航空会社もなかった。そもそもインターネットもなかった。じゃあ、まず、当時の安い航空券を手に入れる方法だが

「海外に行って買う」

これがセオリーだった。行先はほぼ二択。香港かバンコク。僕は香港の空港が苦手だったから、バンコク派だった。
当時のバンコク、カオサンロードには、安宿と旅行代理店、マッサージ屋、土産物屋、飲み屋、などなどがグチャグチャに軒を連ねていて、世界中からバックパッカーが集まってきていた。
その中には日本人御用達の安宿もあって、グリーンゲストハウスとかフレンドリーゲストハウスなんかが、定番だったかな。フレンドリーの1階は、マッサージ屋になってて、マッサージのベッドで寝れば1泊¥100くらいだったから、僕はよく使ってたな。

「折角海外まで行って日本人とつるむなんて」と思うかもしれないが、SNSなんてないから、日本語のコミュニケーションにも飢えるよね。それに情報だ。世界を旅した人がそこに帰って来るわけだから、自分がこれから向かう先の治安や物価、宿泊先や食べ物、リアルな情報が聞ける。
仮に会えずとも、宿には「旅のノート」が置いてあって、親切な人が情報を書いてくれているし、上質な旅のエッセイみたいなモノもあって、それを読んだり書いたりするのも楽しかった。

僕の頃のカオサンには「沈没」する人はほとんどいなかった。いわゆる「外こもり」ってヤツね。そういう人たちは、更に物価の安い、プノンペンだとかポカラだとかにロングステイする。

SNSが無いって影響力デカイね。寂しいから、旅先での恋愛は盛んだった。僕も恋愛したがために、バンコクから向かう先が大変更になったり、或いは、女の子が日本に帰るというから、来て早々に一緒に帰国した事もある。で、帰国してデートして、お互い「なんか違う」と感じて、別れて、また旅に出る。
旅先での恋愛は3倍燃え上がるからね。反動はある。

帰る時は、カオサンの旅行代理店で、ビーマンバングラデシュ航空の1年オープンの往復チケットを買う。で、往路で日本に帰ると、復路が残る。この復路は1年以内に予約すれば有効だから、次バンコク行く時使う。結果その繰り返しとなる。
ビーマンは後部座席ではタバコが吸えたからモクモクしとった。

カオサンに集まる旅人の多くは、インドとか、まあアジア圏の旅行をする人が中心で、最終的には僕もそっちの方になるんだけど、最初の頃に攻めたのは、

欧米

なんである。最初の海外旅行が、北米横断だったから、そこで知り合った友人に欧米人が多くて、友人の家に遊びに行くスタイルになったがために、そういう事になったのだと思う。

それで、僕の貧乏旅行のはじまりは「深夜特急」でも「ボーダー」でもなければ、なんだか高尚な目的があったというわけではなくて、

失恋傷心旅行

だった。その恋愛の話はいづれまた書くとして、その時は、バンコクでチケット買うとか知識ないから、日本で、デトロイトイン、シアトルアウトの60日オープンの航空券と、グレイハウンドという長距離バスの乗り放題パスを発作的に買って、慌ててパスポートを作り、宿も取らずに飛行機に乗った。

窓際の席だったけど、後から来たアメリカの老夫婦に請われて、席を譲った。フライト時間は長いから、当然会話になる。老夫婦はデトロイト在住で、日本の友達に逢いに来て、その帰りとの事だった。
僕はデトロイトに行くわけだから「デトロイトに安いホテルはないかなぁ」と聞いた。
すると「えっ!お前、宿取ってないの?」という事になり、色々話した結果「ウチに泊まりなさい」という話でまとまった。

デトロイトに着いて、外に出たら

めちゃめちゃ寒かった

2月だった。もちろん東京での冬の格好だったけど、とても足りないと思った。それから老夫婦の車で家に行った。日本のウサギ小屋と違って、結構広い家で、ゲストルームもあって、ベッドは快適で、横になったら爆睡した。
「ピザ買って来たぞー」と起こされる。至れり尽くせりだ。
映画の世界だったアメリカのピザ!にそれなりに興奮したが、ちょっと尋常ではない量だった。満腹になってまた寝る。時差ボケか温度差ボケか、英会話疲れか、失恋を引き摺っていたせいか、初めての海外旅行の割には、なんだかボーっとしていた。

そして朝食の時になって衝撃を受けた。
これまた、バカでかい牛乳のボトルがあって、そこに少女の写真とメッセージが貼ってある。

「この子探してます」

え~!こんな広告ってアリなの!
僕が目を丸くしているのを見て、婆ちゃんが「どした?」と聞くから、僕が牛乳の写真を指指すと、彼女はすごく情の深い表情で、

「ほんとに可哀想ねぇ」

と言って、すぐ笑顔で「ベーコンも美味しいわよ」と続けた。

「そんだけか~い!」

とツッコミたかったが、そんな英語力はなく、僕は一度大きく息を飲んで、何事もなかったような顔をして「美味しいそう!」と彼女に言い、そして考えた。
おそらくアメリカでは、こんな事は日常茶飯事だから、彼女はたいした感慨もないのだろう。

頭の中のモヤのようなものは吹き飛んで、その時初めて「僕は異国にいるんだ!」と心の底から震えた。

デトロイトでは、なんだかんだあって、結構な期間お世話になったけど、2ヶ月の波乱はそこから幕を開け、結果的に僕は海外旅行中毒になった。

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