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「共感」と「信じる力」を思い出す ー 木星魚座期間


「思いやり」という言葉、私たちは普段どれくらい意識して暮らしているでしょうか。

私の知り合いのAさんはBさんを嫌っています。CさんもBさんを嫌っています。よくAさんとCさんはBさんのいない時に、2人でBさんに関する愚痴や悪口を言っています。

私は2人の近くにいることが多いので、それを聞く時が苦痛で、最近はそのことが主な理由でAさんとCさんをまとめて嫌いになりかけていました。

それがふと、先日何かの時にAさんが、「Bさんが最近私はほんと苦手で・・・」と私に言ってきて、うん知ってると思いながら、愚痴始まったらやだなぁと少し身構えながら、「いつもイライラしてますよね」とできるだけニュートラルに言ったら

「そうなの。イライラするの。」と、Aさんはす…と、腑に落ちるようなトーンで言い

その瞬間、私にはAさんが苦しんでいる様子が伝わってきて、「そうなのか。100%悪意を持っていつもBさんの悪口を言っているわけではないのか。」と、今までと違った風にAさんを見ることができました。

すると、私の中にAさんを可哀想に思う気持ちが生まれ、今までの嫌いになりそうだった気持ちはかなり薄らぎました。

これが、「共感」そして「思いやり」の力です。


私は、AさんがBさんを嫌うことを「良い」と思っているわけではなく、Aさんの言っていることに賛成や同意をしているわけでもなく、ただAさんのなかで何かが満たされずに苦しんでいる様子を、「苦しんでいるんだなー」と感じ、Aさんの気持ちを思い、「苦しいんだね」と心のなかで共感しました。

結果、私が感じていた、AさんとCさんに対する敵対的な気持ちが和らぎ、私自身の気持ちがラクになりました。


「思いやり」という言葉は、皆大事だとは知っているけど、実際口にするには気恥ずかしく、「思いやりのある人」というのは、(自分以外の)だれか聖人のような人に対してでないと使ってはいけないような・・・そんな感じがあるように思います。

それは多分「思いやる側」が「思いやられる側」より上の立ち位置にいて、思いやって「あげて」いるような図式が皆の頭にあるからかなとも思います。

でも今回の私の例では、「思いやられた側」であるAさんも、確かに私に話を聞いてもらったという満足感はあると思うけど、正直なところ「思いやった側」である私の方が、より多くの感情的な満足感を得たのではないかという感覚があります。

何故なら私は、できることならAさんもCさんも嫌わずに過ごしたいから。
誰かに対して敵対的な思いを抱くというのは、「わざわざ自分のなかで毒を製造し、嫌いな相手のことを思いながら、自分で毒を飲むようなもの」だと思うからです。
(これは、よく引用される出典不明な言葉。ソースが気になる方は
https://quoteinvestigator.com/2017/08/19/resentment/ へどうぞ。よりわからなくなると思います)

毒は作らなくていいなら作りたくないし、飲まなくていいなら飲みたくもなないですよね。

以前Coursera(世界中の大学の授業が無料で受けられる)でとっていたトロント大学の心理学のコース

進化の過程で、哺乳類は生存の可能性を高めるため仲間を助けるという行動を獲得した

ということを学びました。(たしか)

また、ハリウッドの映画監督トム・シャドヤックのドキュメンタリー「I AM ~世界を変える力~」のなかでも

哺乳類のなかでも人類の「互いに助け合う」力はずば抜けていて、それはほかの動物たちのように鋭い爪や牙やスピードやパワーを物理的に持たない人類が生き延びるためスーパーパワーとして身につけたもの

というようなことを言っていました。(たしか)

だから「思いやり」というのは、自分(の種)が生き延びるための戦略でありスーパーパワーであり、つまり他に秀でた能力のない人類の場合それを使わないと逆に滅びるかもしれない、ということじゃないでしょうか。

たぶん、マインド、IQの方の知能で生き残ろうと思ってるけど、実際はEQ<こころの知能指数>も同じくらいかもしくはそれ以上に大切で、でもそれに気付いていない人類が大半で、だから地球のあちこちで色々な問題が起きている・・・ということじゃないでしょうか。

それを知ると、「めんどくさいけど思いやってあげなきゃ」「余裕がないときは思いやれない」みたいな感覚からちょっと抜けられるのではないかと思います。むしろ「思いやらせてくれてありがとう」みたいな


そして、そういう風にマインドをシフトしていくためは、人の中に「善」を見ることが不可欠となります。

普段接しているその人の攻撃的な面はその人のたったひとつの「表現」に過ぎず、その人にとって大事な何かが満たされていないが故に表面に表れてくるその人の苦しみであるということを理解すること。

そしてその表現が、その人の本質ではないと「信じる」こと。

また、その表現以外の、もしくはそれを超えたその人のポジティブな面を自分が「見る」ことができることを「信じる」こと。

だって本当は毒は飲みたくないし、思いやった方が気分がいいし、自分にも相手にもいいことしかないはずなのに、それができない理由というのは、自分が今見ている世界(例えば、「あの人は悪い人だ」など)しか存在していないと信じていて、しかもそれが正しいと思い込んでしまっているからですよね。

でもその正しさは本物か?今の自分には見えていないものがあるのではないか?そしてもし今自分が見ているものの見方を手放したら、ひょっとしてこころは、自分自身は、もっと自由に活き活きと解放的に生きられるのではないか・・・?

そういう風に見ると、すべての人に「善」を見て、「思いやる」という行動は、とても合理的な、自分自身のこころの解放にもつながるプロセスと言えそうですね。


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占星術の言葉を使わずに魚座木星期間に目指したいことを書こうと試みてみました。

木星が魚座にいるのは2021/5/14~7/28、そして2021/12/29~2022/5/11くらいです。

「善」「思いやり」「信じる」といった言葉を使うと、宗教的とか、スピリチュアルと思われるかもしれませんが、魚座木星とはそういう感じです。

日々の生活の中で、どうやって思いやりスキルを磨けばいいんだろう?と思った方は、『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・B・ローゼンバーグ著 日本経済新聞出版 2012)を読んでみてください。

ではまた。


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