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日本の森、モリのニッポン紀行

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「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no… もっと読む
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#写真

雨夜神社@越前國丹生郡。

境内に入ると鳥居と拝殿の間に小さな登り口。登ってみると頂きには奥宮と思われる社が鎮座するもひどく朽ちている。一方、眺めはよく「越前富士」と呼ばれる日野山と武生の町並みを一望。雨夜神社の論社というが、社号碑は岡太神社で鳥居の扁額は白山神社という不思議な神社。
写真は福井県越前市。

兄子神社@越前國丹生郡。

「神社覈録」に「兄子は世古と訓べし」とあるように、社名「兄子」は「セコ」とも読むらしい。そのため今庄町瀬戸の白山神社が論社とされたようだが、現地名は「セト」。鳥居くぐると拝殿奥、丘の頂きに奥宮のような社。そこへ至る石段に隣接して墓地。越前の生きた神仏習合。
写真は福井県南越前町。

椛神社@越前國大野郡。

地図では分かりにくいが、幟を立てる背の高いポールのおかげで神社の場所は遠くからでもすぐ分かる。鳥居の向こうは森閑としていて、石段を上がり境内に入ると聞こえるのは鳥のさえずりと足羽川の流れ。樺八幡社同様論社だが由緒書なく、八幡神社ということ以外は分からず残念。
写真は福井県福井市。

椛神社@越前國大野郡。

上味見川を渡り背の高い杉木立ちの森へ。山ひとつ越えれば越前大野という山間の地に阿弥陀如来坐像はじめ仏像神像等文化財多数。中世、当地を支配した伊自良氏が高い文化を育んだと略記にある。樹間を抜ける風がとても心地よい。帰路、国道のスノーシェルター上にカモシカ目撃。
写真は福井県福井市。

荒嶋神社@越前國大野郡。

神社に向かおうと真名川にかかる橋を渡るが激しい雪でホワイトアウトに近い状態。神社は山と集落の境に位置しスギの木立ちに葉を落としたケヤキが混じる。かつて荒島岳の四合目に鎮座していたそうだ。初めて経験する奥越の大雪。登拝なんてとんでもない、麓の神社でよかった。
写真は福井県大野市。

國生大野神社@越前國大野郡。

参拝を済ませ境内を歩いていると、茂みからキジが慌てた様子で逃げていった。その後も鳴き声は近くに聞こえていたので遠くへは行ってないみたい。境内からはどの方向を向いても雪をいただいた山並み。大野らしい風景だ。隅っこには三、四、五、六斗の重石が並ぶ。力石か。
写真は福井県大野市。

國生大野神社@越前國大野郡。

大野城の南、山の麓に鎮座する清瀧神社へ。雪を被った拝殿と奥に上がり本殿を参る。大野郡九座中、唯一、社名に郡名が入る國生大野神社は一体どこ? 横に並ぶ境内社を見ていくがそこに名前はない。ようやく見つけたのは由緒のなか。合祀社に「式内国生大野神社」の文字。
写真は福井県大野市。

風速神社@越前國大野郡。

晴天にも関わらず社叢の木々で陽光阻まれ薄暗い境内。鳥居をくぐり雪を踏み越えて正面の拝殿へ。名号碑は春日神社だが拝殿の扁額には「不動明王」の文字。神仏習合の名残だろうか。四方を山が囲む奥越ならではかもしれない。本殿左手には盛り土or磐座上に鎮座する不思議な祠。
写真は福井県大野市。

風速神社@越前國大野郡。

広々とした田んぼの向こう端の山の麓に神社は鎮座する。背後の山とは明らかに異なる社叢の木々。その奥の冠雪した山並みは雨とともに霞のなかへ。境内に近づくと不思議なことに名号碑、常夜灯、狛犬にはブルーシートが被せてある。雪害対策? ちなみに大野市は特別豪雪地帯。
写真は福井県大野市。

坂門一事神社@越前國大野郡。

花山トンネルを大野市側に抜けると雨が落ちてきた。坂道を下り左手の境内は思ったより小さい。「延喜式」では「一事」だが、現社名は「一言」社。大和・葛城の一言主神社からの勧請と思いきや、由緒は阪田大跨命を祭神と記す。命は越前出身の継体天皇妃・広媛の父君とか。
写真は福井県大野市。

篠座神社@越前國大野郡。

一ノ鳥居をくぐり拝殿まで歩いて行く途中、手水舍辺りでハッとした。拝殿の真後ろに山が。本殿は鎮座するが、遠目には神体山を拝むのが拝殿の役割であるように見える。飯降山と神社との位置関係は決して偶然じゃなく、春分と秋分には境内と山の一直線上を太陽が沈むと聞いた。
写真は福井県大野市。

磐座神社@越前國大野郡。

越美北線越前大宮駅を降り立つと、いつ雨が降り出してもおかしくない曇り空。国道沿いの民家に挟まれた道の先に鳥居。その手前の切り株はかなりの太さ。伐採前は入口付近を枝葉が覆っていたことが想像できる。古社感溢れる八幡神社だが、磐座神社としての記憶は過去のものか。
写真は福井県福井市。

姉埼神社@上総國海上郡。

「平成通り」を姉崎方面へペダルを漕ぐと右手に二子塚古墳。鬱蒼とせずすっきりした墳丘と前方・後円の間の鮮やかなくびれにコーフン。海上郡は大化以前「上海上国」と呼ばれ国造も存在したとか。境内には姉埼古墳群の古墳がいくつも見られる。神社は上海上国の聖地なわけか。
写真は千葉県市原市。

橘神社@上総國長柄郡。

参拝後、弟橘媛の陵といわれる古墳まで歩いていると白ネコが僕を見てニャーと鳴いた。数匹のネコが境内を走り回る姿は微笑ましい。「記」には日本武尊の后である弟橘媛が荒波に身を投じた七日後、海辺に櫛が流れ着いたという記事。「その櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき」。
写真は千葉県茂原市。