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日本の森、モリのニッポン紀行

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「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no… もっと読む
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2021年5月の記事一覧

野見神社@尾張國中嶋郡。

「初めて見た」と参拝に来たおじいさんはFATBIKEのタイヤを手で触り太さを確認。古墳のある境内だが盛り上がり見られない。「野見神社古墳」と石碑が立つだけだ。野見といえば野見宿禰。出雲出身。相撲を取れば無敵で、さらに古墳に埴輪を並べることを考案したアイデアマンだ。

写真は愛知県一宮市。

大神々社@尾張國中嶋郡。

尾西線の高架沿いを一宮駅から観音寺駅方面へ。青々した境内でひときわ目を引くのが神木のクスノキ。大きく枝を伸ばし神々しいその姿に合掌。祭神は大和の大神神社と同じく大物主神。神社がある場所を大和町が囲み、大和国一宮と同名社が尾張一宮に坐すのは偶然とは思えない。

写真は愛知県一宮市。

坂手神社@尾張國中嶋郡。

一宮の市街地を抜けた途端、刈り取り時期を迎えた黄金色の稲穂。西向き鳥居をくぐり南向きの拝殿で手を合わす。御神体は石? 境内にはその説を裏付けるような「神石坂手大神」という石神。しかし縦長で側面に享保二年銘。御神体といわれる「太子石」は丸石らしいから違うか。

写真は愛知県一宮市。

憶感神社@尾張國海部郡。

お寺の駐車場に隣接する境内に感じた「お寺のなか」感。拝殿南側にはアキニレの保存樹、幹に空いた洞が痛々しい。元位置は北側にあったが洪水により流されこの地に移転。帰り際、常夜灯を見ると「憶感山」の文字。憶感山吉祥寺が正式名。お寺のなかにという第一印象は本当だ。

写真は愛知県津島市。

伊久波神社@尾張國海部郡。

日光川から分かれた三宅川沿いに鎮座もここは旧中島郡。「伊久波」は「的(いくは)」、高麗の鉄盾を射抜いたことから「的戸田宿禰」を賜った的臣に通ずる。「戸田」が「土田」に転訛すると伊久波天神を合殿にまつる清須市の土田八幡宮が論社に浮上。昔は海部郡だったそう。

写真は愛知県稲沢市。

由乃伎神社@尾張國海部郡。

「海部幹線水路」沿いを走り旧佐屋町に入る。街場のようにカラスが見られず鵜が多いのは水路ならではだろう。神社は名鉄日比野駅近くに鎮座。注連縄を巻かれた大楠が聳えるも若木が多く鬱蒼とした感はない。いまはスマホだが尾張国の式内社訪問時の五年前は紙の地形図利用。

写真は愛知県愛西市。

宇多志神社@尾張國海部郡。

名古屋から西に向かうと稲田とともに広がる蓮田。宇太志神社が鎮座する旧八開村は蓮根栽培が盛んな土地。鵜多須町は社名のウタシが訛ったものだろう。用水沿いに休息する鵜たちの姿。鵜が多く見られるから、ウタシよりも鵜が多いウタスの方が土地の実情に合っているような。

写真は愛知県愛西市。

藤嶋神社@尾張國海部郡。

名古屋南部から愛知県西部にかけて祭礼時に引き回される神楽屋形。七宝町鎮座の当社にも屋形を収める背の高い倉庫が立つ。その起源は伊勢神楽で用いられる獅子頭を納めた屋形。元は素っ気ない白木造の代物が仏具師たちにより絢爛豪華な神楽屋形として新たな価値を構築された。

写真は愛知県あま市。

國玉神社@尾張國海部郡。

大国玉神は大国主命の別名で国土開発・経営をする偉大な神なら、「大」字を取った国玉は地方開拓神ということか? 本殿を囲む社叢に保存樹指定のタブノキの古樹。クスノキが市の木である名古屋では珍しい。佐屋街道沿いに鎮座する神社は八剣社との合殿のため鈴のヒモが二本。

写真は愛知県名古屋市。

諸鍬神社@尾張國海部郡。

手元の地図に神社の印が見当たらない。焦ったがこういうときは勘に頼るべし。神仏混淆の名残で式内社とされる神社にはお寺と隣あうケースがちらほら。周囲を見渡すと寺院らしい建物。隣とはいかなかったがその後方に鳥居。勘の外れはご愛嬌。でも近過ぎず遠すぎずと自画自賛。

写真は愛知県愛西市。

漆部神社@尾張國海部郡。

名鉄甚目寺駅のホームに降り立つと甚目寺観音、大徳院とともに漆部神社の広告塔が立ち並ぶ。先に観音さまを参り隣の神社へ。枝を伸ばしたクスノキが境内を覆うせいか緑の密度が濃い。社名に「漆」がつくため漆器や塗り物の神という三見宿禰命が祭神。僕しかおらず静かな時間。

写真は愛知県あま市。

菅田神社@大和國添下郡。

平端駅を出て三郷橋で佐保川を渡ると森は目の前。鳥居のない入口から拝殿へ。手前にはみかんの木。実は四つと数えるほどだから鳥さんたちのごちそうか。コロナ禍で鈴のヒモを柱などに結わえている神社が多いなか、賽銭箱の上に垂れるヒモ。もちろん「先に手を消毒」が大前提。

写真は奈良県大和郡山市。

菅田比賣神社二座@大和國添下郡。

社名の「二座」のうち比賣のほかは比古、つまり男神を匂わせる。しかし境内に掲示された由緒を読むと祭神は「伊豆能賣神」。男神消えてなお主神の女神までも、付会の不可解。境内の森は木々に覆われ日を遮る。夏に来れば涼しそう。神社東側の三叉路中央部分に地蔵堂。

写真は奈良県大和郡山市。

御前社「原」石立命神社@大和國添上郡。

御前社「原」石立命神社@大和國添上郡/手元の「延喜式」によると、写本によって「原」字が抜けたり「社」が「杜」だったりするらしいが、標柱には「原」があり「社」がない。石段を上がり三層目。板塀内中央鎮座の本殿にまつられる御前原石立命は山の神。神社西側の公園内、丸裸の巨木に漂う寂しさ。

写真は奈良県奈良市。