なぜピカソの絵が美しいと言われるの?
僕は、絵画や写真を見て、綺麗だなと思う時がある。
その時、なぜ綺麗なのかを考えるけどいつもなぜかはわからない。
つまり、絵や写真のロジカルな部分を知らないのに感覚的に綺麗と思っている。
ふと思ったことがある。
なぜ、ゴッホやピカソなどの絵は世界的に有名になったのか。
僕にはその価値は分からないし、判断もできない。
ただ上手だなくらいでしか分からない。
ともなれば、同じレベルの絵を描ける画家が、
”この絵は素晴らしい”と判断したのだろうか。
そうなると、その画家が書いている絵が民衆から評価を受けていなければ
世界的にはその判断は認められないと思う。
つまり、誰が絵の価値を決め、世界的に有名にしたのか。
イデア論
目に見えている僕は、偽物の僕である。
本物の僕は、僕を知る人たちの中にいる。
この辺はとても難しく、説明ができないのだが
簡単にいうと、概念の話になる。
仮に、僕の右腕が切り取られ、これは誰ですかと僕を知っている人に聞くと
”さもちゃんです”と認識できる。
次に、左腕、右足、、、、胴体だけになった時誰かわらなくなる。
(少し酷くてすみません。)
その時、さもちゃんってどんな人ですか?と聞いてい
その人の頭の中に浮かんだ人が、僕である。
つまり、体というものは、"さもちゃん"を分かりやすく表した偽物でしかない。本物の僕は頭の中に存在する。
非常に不思議な感覚になるが、これはあくまでも哲学的な話である。
ただ、この考えでいくとすれば”美しい”という概念が人類の中に存在することが言える。
みんな生まれながらに持っているものがある。
絵画、写真を見て美しいと思える”美意識”は、
美しいという概念に基づいてできていると考えると
この概念を多くの人が持ち合わせていると考えることができるのではないだろうか。
つまりは、美しいと言われる絵画や写真は美しいという概念の上に存在しているからこそ、美しいと評価される。
さらに言えば、世界的に有名になった絵画や写真はその概念のより中心に位置しているからこそ、有名になったのではないのだろうか。
結論、僕の中にも美しいという概念が存在しているからこそ、世界的に有名な絵画や絵を美しいと思うことができるのだと思う。
もちろん、専門的にではなく、感覚的である。
こう考えると、美意識を向上させることでより多くの美しいものに気づくことができ、世界的に有名なものにはより理解を深められると思う。
美意識、を意識して生活していこうと思った1日でした。
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