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警戒心強めの子供だったから、今では即座に見抜ける。

僕には4つ上の兄が一人いて、兄のサッカーを母親に連れられ見にいくことが多かった。
恥ずかしがり屋で、初対面の人と話すのが苦手で、いつも母親の側にで隠れて試合を見ていた気がする。

挨拶をちゃんとしなさいと言われても、モゴモゴと言うだけ。
それでも偉いね〜なんて言われるんだから、子供はさらに恥ずかしくなるわけだ。嬉しくて。

で、母親の近くで試合を見ていると大人たちの会話が耳に入って来る。
色々な話をしていたが子供だった僕に理解することは難しかったし、覚えてもいない。だけど、すごく耳に残り、気にしていたのは言葉遣いだった。

母親の後にそって、”兄がいつもお世話になっております”
と言ったものなら、みんなに笑われた。
当時は、笑われることは、恥ずかしい事だと認識していたから一度笑われた言葉はあまりわないようにしていた。と言うより、発しようとすると笑われたシーンを思い出してしまって避けていたと言った方が正しい。

今ならわかるが、よく知っているねと言う関心と、年齢と言葉にギャップを感じ笑われたのだろう。

だけど、それで笑ってもらえるんだと分かったらわざと使ったりもしていた。(子供ながら接待がうまいタイプだった気がする。笑)

何が関係しているのか

聞き耳をたてることが癖となり、よく人の話が入って来るようになった。面白いことに、何を言って人が笑ったなども覚えるようになり、同じ言葉のチョイスをして人の反応をみて実験していた。

聞き耳(どういう言葉をチョイスしているか)
周りの反応(大人言葉を使った時の反応)

そこで、なぜ聞き耳をたてるのか、どのような心理が働いているのかが気になり調べて見た。

ちょっとした物音に聞き耳をたてる人は、非常に警戒心が強く、野生的な感覚の持ち主です。
引用:こちらのサイト

なるほど、僕は野生的な子供だったのか。

で、言うと確かに僕は小さい音でもかなり気になるタイプであった。

幼少期なんかは、夜に小さい音を聞くとビビり、勝手に怖い(幽霊とか)イメージして、さらにビビり、ループだったり、ヒソヒソ話しとかがやけに耳についたりした。

非常に警戒心も強く、人間関係で言うと、信用するまでに時間がかかる。それ以外では何か自分の身に起こるのではないかと常に考えていたし、特に怖さと痛みから避けるように生きていた。

嘘も本能的に見抜くと言われると、騙されることは少なかったと思う。
これが警戒心から来ていると言うのであれば今も変わらない。

思い違いかもしれないが、相手のトーンの違いや、表情を見てだいたい言ったことがあっていたのか、相手に不快を与えてしまったのか、相手にとって何なのかわかる。

これら全て警戒心から来ているから来ているとすると、僕は警戒心がとても高く割と慎重なタイプだったのだと思う。

この警戒心が僕を慎重にさせすぎていたのか、一歩踏み出すまでに悩むことが多かった。そのおかげで、自問自答もかなりして、今では悩むことよりも今ではとりあえずやってみようの精神を持つことができたので、結果オーライ。

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