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つい、探してしまう。

歩いていて、
「あれ、なんか今日信号運がいいな。」という日がある。
いつもは赤信号になるタイミングで青が続くのだ。

そのとき、目の前を歩く人の中に “あの仙人” がいないか探す。

あれはまだ、次男が赤ちゃんだった頃だから、7,8年前の話だ。
長男を幼稚園に送った後、次男を小児科に連れて行くという日で、予約時間ギリギリになりそうで焦っていたある朝。
小走りで行こうかなというところ、数メートル前におじいさんが歩いていた。
そのおじいさんの歩く速度はちょっと遅いんだけど、抜いていこう!というほど遅くはない速度で、急いでいるけどまいいか、というかんじでおじいさんの後ろをベビーカーを押しながら歩いた。

こりゃ、遅刻だな…と思いながらも、なぜかおじいさんを抜こうという気にならず、後ろからおじいさんを見ながら、あの右手に持ってるコンビニの袋には何が入っているんだろう、なんて思いながら歩いていると
いつもだと絶対に引っかかるはずの信号がことごとく青だった。
一つ目に続いて、二つ目の信号が青だった時点で、すでにちょっと奇跡のように思えて、
「あのおじいさん、仙人なんじゃないか」と少し思った。
コンビニの袋は小さめで、タバコなのかパックのジュースなのか、それほどかさばるものでなく箱っぽいものがコトンと入っているような、かんじで重力に引っ張られていた。

そんなふうにおじいさんを観察しながら歩くこと10分ほど。
全く信号で足止めされることなく小児科に到着した。
大きな横断歩道2つと、小さな横断歩道3つ、計5つをクリアだ。
もちろん、予約時間には間に合った。
「仙人だ、、、」と思った。

あの頃は、あの時間によくあの道を歩いていたけれど “あの仙人” だ!という人物には会っていない。
なんて言っても、後姿しか分からないし、服装が違えばもうわからなくなってしまうくらい、一見フツウのおじいさんだったのだから、本当は会っていたのかもしれないけれどわからない。

だから今も、信号運がいいときは “あの仙人” を探してしまう。

目印はコンビニの袋。

交差点だけでなく、向かいのホーム、路地裏の窓までも探してしまう勢いだ。

きっと、やっぱり、“あの仙人” は仙人だったんじゃないかと思っている。

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