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読み手は誰かを考える

和歌山出張の際に、読みかけの本を鞄に入れ忘れたため、天王寺駅で急いで買ったのが、この柿沼陽平著「劉備と諸葛亮 カネ勘定の『三国志』」(文春新書)。長い阪和線、ずっとスマホをいじるのは性に合わないのだ。

イラストを多用した装丁から、当初はよくある歴史小ネタ物かと思ったが、著者が史学科の大学の先生だったので読んでみることにした。

内容としては、文学作品である『三国志演義』を拠り所とする今の「三国志」ではなく、史書を元に歴史としての「三国志」を取り上げ、特に経済史の面から三国時代を分析したものだ。

戦争を仕掛けるにしても、兵を集め、兵器を買い、兵全員分の食糧を蓄える必要がある。お金がなければ戦いは続かないでしょう、という視点に立ち、曹操や劉備たちがいかに金集めに奔走したかが描かれている。

こうした主題も興味深かったのだが、私が注目したのは「あとがき」に書かれた一文だった。

「三国志を読んだことのない一般読者にもその面白さを伝えたい」との編集部の意向と、「三国志マニアの知的好奇心を満足させ、かつ研究書として新知見も含めたい」との筆者自身の希望とのはざまで、おおいに頭を悩ませた。

実はこの本、大学の先生が書かれた書物でありながら、典拠の明示が極めて少なく、ただ史実が並んでいる、事実はこうなのだと断言しているページが大部分に及んでいた。

気楽に読めるという点では、それでも良いのかもしれないが、私みたいなアマノジャクは、どこからどこまでがどの史書に書かれていたのかを知りたくてたまらなくなる。それはどの史書に記載されているのかが、信憑性の判断に大きく影響を与えるためだ。

もちろん大学の先生は、典拠の重要性をご存知であるはずなのに。。こうした違和感が、最後のあとがきを読んで氷解したのだ。

確かに、文章を誰に向けて書くかという読者対象の絞り込みは本当に難しい。読者に専門家もいれば入門者もいる場合、誰に基準を置けばよいのか、どこまで注釈が必要なのか、という点にいつも頭を悩ませる。だが、そこを間違えると、せっかくの良書が台無しになる可能性もある。マーケティングを踏まえて、慎重に対象を絞っていく必要があるのだ。

さて、この本はどうだろう。私が思うに、「この本で初めて三国志を知りました」という人はどれだけいるだろうか。「本を手に取るまで、三国志について一切知りませんでした」「劉備、諸葛亮って誰ですか」という人。いないのではないだろうか。日本人の三国志入門書は、やはり横山光輝氏であり、吉川英治氏であり、ゲームであったりすると思う。

こうした書物(ゲーム)で基本を押さえたからこそ、今までにない「カネ勘定」的な経済からの切り口が面白く感じられ、この本を手に取るのではないだろうか。私のように。

ということで、結論としては、編集部の意向には賛同しがたく、著者の先生は大変ご苦労をされたであろうということです。私も編集者の端くれとして、こうしたことがないよう努めていきたいと思った土曜の昼下がりでした。

▲買うだけ買って、まだ読めずにいる本。次は何にしようかな。ハードボイルドかな