『メガネかけてるから店員にナメられるねん』の回

メガネは外見に影響を与える。雰囲気が柔らかくなるといった良い影響もあるが、芸能人がプライベートの変装で使うことからも窺えるように、メガネは主にオーラを抑えて地味な外見に見える方向に働く。わたしはそんなメガネを常時装備しているもんだから、まあナメられることが多い。

例えばラーメン屋。わたしが入店したときにはそれほど声を張らずに「いらっしゃいませ」と言っていた店員が、わたしの次に入ってきたお客には打って変わって全力の「らっしゃああせええ」をかますことがある。信じられないほどの露骨な手の抜きよう。中学生でも手を抜くのは顧問がいないときと心得ているのに、こやつは店長がいるにもかかわらずこの態度。普通に怖い。そして手を抜かれたこのわたくしと、その後に入ってきたお客の相違点を探してみると、わたしはメガネをかけていて、お相手はメガネをかけていないということに気がつく。

なぜメガネをかけているだけでナメられるのであろうか。それほど弱そうに見えるものなのか。確かにメガネをかけているということは、かけていない者よりも視力が劣っているという証ではある。だが、この時点で劣っていると確定できるのは視力だけであり、腕力等はまだ未知数であるはずだ。それにもかかわらずメガネをかけているだけでトータルのパラメーターが低いと判断される。これはおかしいではないか。

といったことを書きながらも、メガネをかけているムキムキマッチョな人間の顔が誰ひとりとして浮かんで来ないことに気がつく。そして、そんな事実から目を背けている自分がいる。有名人の強そうなメガネの人が全く頭に浮かんでこない。強いメガネ・・・。このワードではムキムキなメガネの姿よりも、メガネを光らせながら不敵な笑みを浮かべるメガネの姿の方が思い浮かぶ。さながら智略家、インテリヤクザのような。アウトレイジの加瀬亮しか出てこない・・・。メガネをかけている自分でさえ、メガネをかけている者へのバイアスをもっていることに、千原ジュニア風に言えば愕然としている。せめてメガネサイドだけでも結託しなければいけないというのに。他に強いメガネと言われても元ヤクルトのキャッチャー古田の顔しか出てこない。どこにいるんだ強きメガネは。その、智略家タイプではなくてムキムキタイプの。

でも一番怖いのは、メガネうんぬんは関係なく、本当はただただわたしだからナメられていたってことです。ラーメン屋でのいらっしゃいませ問題において、わたしとわたしの後に入ってきたひとの違いがメガネだけって、そりゃあいくらなんでもパワープレイ過ぎるでしょうよと自分でも思う。ムキムキタイプのメガネでもないくせに。きっとそれ以外にも違いがあったんでしょうよ。メガネをかけているわたしも、メガネをかけてないわたしもナメられる、それを認めたくなくてメガネのせいにしてしまいました。メガネをかけて失われし視力を取り戻したとしても、見て見ぬふりをしたいものはこの世にいくらでもあるわけです。


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