容疑者に_こんなに優しくされたことはなかった_と言わせた初めての居場所

容疑者に「こんなに優しくされたことはなかった」と言わせた初めての居場所

犯人をかばうつもりはまったく無いですが、犯人が近大病院を退院した時に「こんなに優しくされたことはなかった」とお礼を述べたこと、その意味は、文字列そのまま、今までこんなに優しくされたことがなかった、ではないと思っていた。

事件を起こし、罪の無い人達の人生を終わらしてしまったその犯人の背景は新聞等にて詳しく報じることも無いし、さほど必要性も無い。
しかし、大変な大きな罪を犯している。その原因はただマスコミ的に家庭環境がどうのこうのだけかとふと思った。

このような大事件を起こした犯人に同情をして書くわけではまったくない。
しかし、もしかしたら同じような境遇にいる人は、世の中には結構いるのではないか。
もしかしたら、社会から無視され続けられ、結果、自分の居場所がなくなり、人から認識されることがなくなり、自分という人間の存在を消された人なのかと。

それは、この犯人は、他人との関係が薄く、そしていつも孤立で無援、どこにも自分の居場所もなく、仮に行くところがあってもその中に入り込めなかったんじゃないかと。
だから、近大病院の看護師に「こんなに優しくされたことはなかった」という言葉が出た、初めて人間として認識されたのだろうかと。

子供の頃受けた教育とかそういうことでもなく、今、その境遇にあっている人が社会性を持つ動物である人間として、その社会性を享受できない状態になっている、ということをよく見ることが多い。

それは、何かしらの障害であったり病気であったり、性格であったり、今まで生きてきた人生で曲げられてしまった感覚であり、色々と理由がある。

その人達には、居場所という所がまったく無い。そのような人はいくらでもいる。居場所というものは物理的なものだけでなく、心が属する居場所が無い人、最近ものすごく多い。人や住んでいる街にもその率は変わってくるとは思うが。

引きこもりのような精神状態になっている人は引きこもっている人だけでなく、外に出ている人にも発生する。

会社に務めてようが、学校に通ってようが、街のコミュニティに属してようが、そこにいる人との関係性を構築できなく、孤独になっている人も思いの外多いのだ。

何度も言うが、居場所はあろうがなかろうが、放火し罪のない人を殺してしまうことをすることは決して絶対に許されない。

居場所が無いということ、それは人との接点が薄い、ほとんど無い、まったく無い、だから、居場所となる所や心の拠り所となる人、場所、仲間がいなくなる。

その犯人の生活圏の周りの人の意図的、意図無し関係なく「結果的に無視されている状態」、それは犯人は地球上に存在しないのと同義となる。人が人として相手にもされず、人間として認識されなかったら、すでに存在しない人と同じになる。

人は、その人が意識されて初めて、人として存在される意味を持つ。昔から有名な話である。意識されていなければ、空気以下になってしまう。

人間は必ず意識せずとも、どこかで損得で考えている場合がおおよそほとんどである。地球上のすべての人間は同じである。考えていないと思っていても潜在意識のレベルで判断している。

それは、自分がこの世界で生きる為の本能である。

しかし、その地球上の人間は全員が健常者でもなく、無病でも無い。場合によっては、近づきたくない、善意的に離れておいてあげようと思う時もある。

家族とかであるなら別であるが、善意的でもそうでなくとも、一旦特定の人から離れると、その人の記憶から少しずつ薄くなる。忘れていないと言っても薄くなる。

例えば、昔の仲のよかった同級生、おおよそ忘れてしまった人必ずいると思うが、その忘れた人にとっては、忘れられた人はその同級という同じ箱の空気と化している。

これが、今の社会の繋がりの弱さを抱えている所に起きる事件になりうり、その基盤となるものは社会問題だと思っている。

善意で犯人から離れたのであれば、それは人間が持つ温かさの裏返しの局面にぶつかった人だったのだなと。

「少し離れていてあげよう」、がほとんどその時点でその人とのこの世でのお別れを示すシグナルとなる。そのシグナルをたくさん受ければ、その後孤立を生む。離れることは意識レベルから少しづつ薄くなることを意味することが多い。

人は、周りの人の意識の中から消えていくと、その人は、もうこの世にはいないのと同じことになる」。

ただ単に覚えられていることと、人として認知して意識していることでも異なる。

この犯人は、事件前にはこの世にいる人ではなかったのだろう。おそらくだが、すでに無視され、意識もされず。なにか怖いことやりそうな人だからとか、詳細はわからないのですが。

犯人は以前別の事件で刑務所にいたそうだ。当然、それを知ったら以前と同じように扱ってくれる人なんてほんの数人になる。下手したらゼロになるだろう。

この犯人も子供の頃は友達がいたかもしれない。しかし、今までの人生かけて培ったその宝物はすべて消えているだろう。そして、この犯人は地球上で空気以下となったと思う。

そして、許すことができない大きな犯罪を犯し、許すことができない大きな罪を背負うこととなる。

人間はすべて平等に生きていない。身体、障害、病気、学校、犯罪歴、勤務状態、所得等々、色々と人と人の間に壁がある。それは受け入れなければならない。

しかし、社会全体がそれを埋めることもしなければならないと思う。

なぜなら、どんな境遇であれ、格差があれ、人間は平等で、幸せを掴む権利があり、人として幸せに生きる義務もある。

繰り返し書くが、犯人を同情する為に書いていない。人をも殺す事件を起こすことはまったく別問題だからだ。

しかし、犯罪とまでいかずとも孤立し心の居場所が無い状態になること、そこがこの問題の原因となる一番底に来るものだと思う。

そして、同じ原因で、別の事件も発生する、現代社会の犯罪の悲しい根本原因になる。

世の中、みな器用に生きれる人で構成されていない。

世の中、みな平等に生きている訳ではない。

二度とこのような事件が発生しないよう、社会のあり方や運用を考えていきたいと思っています。そして動いていこうと思っています。


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