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こんな日の私が忘れずにいたい言葉

春が勇み足でやってきたかのように暖かくなった次の日には、ザーザーぶりの雨に身を縮めたり、かと思えば今週末は4月並みの暖かさだとか。落ち着かないお天気が続いていますね。
気圧の変化への弱さもあり、先週、今週は全方面に対して気力をなくしていました。暇さえあればベッドにふせる、暇さえあればiPhoneをダラダラ触ってしまう。心身ともに調子が悪い。

年始に2021年の目標を立てて、それなりに順調に続けていたのですが、気力を失っている間はこれらの目標も忘れ去っていました。
さぼっているつもりもなく、忘れてしまうんですよね。

前置きが長くなりましたが、今日は私が大切にしている言葉をご紹介します。
座右の銘なんてきちっとしたものではありませんが、苦しいときこそ忘れずにいたい言葉です。

途切れながらも続ける 

有名な人の言葉でも、小説やドラマのセリフでもありません。
スピッツの有名な曲の有名なフレーズを勝手にじったものです。(元のフレーズは「スピカ」の「幸せは途切れながらも続くのです」ですね。)


昔から、上手に休むことが苦手です。
幼い頃から楽器を習っていたことも少し関係しているかもしれません。
「1日練習を休んだら、取り戻すのに1か月かかる」なんて、先生や親から口を酸っぱくして言われた覚えがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私もその一人でした。

理想は毎日継続することですが、何らかの原因で、ブレーキをかけなければいけないときがあります。体調だったりお家の用事だったり。単純にサボりたかったり。問題は、ひとたび休んでしまうと、もう起き上がれなくなってしまうのです。

始まりは、楽器の練習をサボってしまい「休んでしまった、取り返しのつかないことをしてしまった」という恐怖、焦燥感を強く感じたことだったと思います。それがいつの日か身体にしみついてしまいました。

自分のそのような性質に悩まされながらも、非効率なやり方でなんとか日々を乗り越えてきましたが、働き始めるとそうもいかない。
仕事に関する勉強をしようと意気込んでも、仕事が立て込むとテキストを開く余裕はなくなります。一度片付けたテキストを再度開くまでには、高い高い壁を越えなければならない。でも、労働しているとブレーキになる障害だはそこかしこにあります。自分の時間を作るのがどれだけ難しいことか。
数年前の私が選んだのは、「今日も休んでしまった」という罪悪感から逃げるために、勉強からも逃げることでした。逃げたところで、「逃げている」という罪悪感からは結局逃げられないのですが・・・

一方、私の夫はアクセルとブレーキの切り替えがとてもとても上手です。夫はいつも何かの勉強をしているのですが、仕事の繁忙期や飲み会が続いてしばらく勉強から離れていても、いつの間にか何事もなかったかのように再開しています。逆に言うと、「目標を達成するまでは脇目もふらず勉強する!」と意気込むことは全くなく、試験の直前であろうが自由気ままに過ごしているように見えます。

いつのことか、なんの力みもなく勉強している夫に「休んだ後、また始めるのつらくない?」と聞いたことがありました。
夫は確かこう言ったと思います。

「勉強なりなんなり、これまで積み重ねた分は確実に前には進んでいるから、何日休んだところでまたそこから始めるだけだよ」

「1日練習を休んだら、取り戻すのに1か月かかる」、転じて「1日のサボりがこれまでの努力を無駄にする」と思い込んでいた私には衝撃でした。

そうか、休んでもゼロにはならないんだ・・・前に進んでいるんだ・・・
ちょっと休んでしまったからと言ってやめてしまうほうが、努力を無駄にしてしまうんだ。途切れてしまっても、また始めたら無駄にならないんだ。
こんな簡単なことに気づくのに、二十数年かかってしまいました。

それ以来、「途切れながらも続ける」ことは、私の目標であり、心の拠り所となりました。

さて、最近の私。
二週間くらい、筋トレも日記も勉強もサボってしまっていたけれど、今日からまた始めたら問題なし。
そういえば何かの本に、「習慣づけに大切なことは、できなかった期間があっても気にせず続けること」って書いていた気がします。

途切れることを恐れていた私ですが、途切れた後が大切なんですよね。

自分の意志の弱さは知っているので、これからも途切れ途切れになるんだろうなとは思います。でも、またするりと再開する方に、再開できたことに目を向けていきたいです。

茉莉子さんの交換日記企画、2回目の参加でした。



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