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東京という静かな激流のなかで

「いろんなものが目に入ってくるなあ」
会社からの帰り道、渋谷のスクランブルスクエアのエスカレーターをのぼりながら、交差の隙間から下に見えた本のポップアップスペースを見てそう思った。

ふと、なつかしい曲が頭のなかに再生されたのだった。「東京のまちにでてきました。」というフレーズ。ーーくるりの『東京』という曲の冒頭だ。

東京に出てきて5か月が経つ。「もう5か月も経っていたのか……」と、カレンダーアプリで週末の予定を確認して改めて気づく。彼と同棲をはじめたこともあり、職を探したり、日用品をそろえてみたり、日々をせかせか、それでも楽しみながら生活をしていると、驚くほどのスピードで時間がすぎていったように思う。

東京での暮らしは(住んでいるのはぎりぎり神奈川県なのだけど)、ほとんどを家と職場を行き来することで1日を終える。そんな生活のなかでも抱いた驚きは、ただ歩いているだけで情報がわんさか勝手に入ってきてくれることだ。

ショッピングモールの広告のPOPだってめちゃくちゃ動いているし、ぜんぶ入るには1年間まいにち違うお店に通っても足りないくらいに、おしゃれなカフェが立ち並んでいたり、「ああ、いい広告だなあ」って気になった駅広告だって、翌日には全く別の進学塾のものに代わって、もう二度と出会えなかったりする。
とにかく情報が多くて、スピードが早い。

滋賀県に住んでいたのはほんの数か月前までのことで、職場もほとんどとなりまちだったから、通勤時間はたった20分。春には野洲川に架かる大きな橋にひたすら満開の桜がつづいていたし、帰る時刻にはたまに田んぼに映るオレンジの夕日を横目に家路についた。きっと日が長かったから初夏の頃だったんだろう。季節によって移り替わるのんびりとした風景はもちろん大好きだった。

だけれど、帰り道に大きな商業施設があるわけでもなく、移動だけではあまりにも変わりない滑らかな景色のなかに過ごしていたわたしは、少ない選択肢をつぶすように遊び、週末くらいはと、いつも日常とは違う経験を求めてはせっせと出かけ、たまに旅にでた。(出かけるのに京都・大阪はすぐそこだったから利便性はよかった。)

どの友人にも、「いつも出かけてるよな。体力凄いな。」と言われたし、親にも「今日は家にいるんだね。」と出かけないほうが珍しがられた。

そんなわたしが、今はあまり出かけられないでいる。もちろん家事があったり、仕事や講座もあって、時間がたくさんあるわけではないのだけど。それでもなぜか変な充足感がわたしの足をとどめているのだった。

そんなときに大都会渋谷で脳内再生された、
「東京のまちにでてきました。」

あとにもさきにも頭のなかで続かないこのフレーズに問いかけられた気がしたのだった。
「わたしは東京というまちにわざわざやってきて、何かを求めて動いているか?」「ふと、見過ごしていこうとしていたこの景色は、たった数か月前のわたしからみれば、実はすごいことなのでは……?」

否応なしに目に入りこんできてしまう刺激的でユーモアなそれらは、みずから興味を持ち動いて得たものでも、わたしが本当に知りたい情報でもなかったことに気づく。逆に、スルーしていこうとしていた催しは、わたしの興味にあてはまるものだったかもしれない。
好奇心がびっくりするほど受動的になって、なにも調べなくなってしまっていたんだなあ。友人も親も驚くだろうか。なんにせよ私は驚いている。

テスト前、膨大な出題範囲をまえに、なにから手をつけていいかわからなくなるみたいに、東京の有り余る、スピーディーな情報をまえに尻込みしてしまっていた。とても恐ろしいことだな。
好奇心をこの東京の静かな激流にのみこまれてしまわないように、いつでも、「わたしはここにいるのだ」「このまちに出てきたのだ」と主体的でいたいと思う。

先週はお誘いではあったけど、テーマにとてもそそられた「私が撮りたかった女優展」という写真展に行ってきた。

あれから東京の新しい場所に降りたつたびに、駅でもお店でも、「東京のまちにでてきました」と意識的に脳内再生させているのだけど、めちゃくちゃ景色の鮮度があがって、いい。(笑)

5年ほどまえ、新卒から東京で勤めている1つ年上の先輩とスタバでお茶をした。そのとき彼女は、「わたしはひとりっ子で、あんなに過保護で大事にしてくれた親と離れて東京に来たけれど、こっちに来てまで自分がしたいことなのか考えることがある。だから肯定したくて仕事をがんばるのだ。」と言った。
ある友人は、「離れて暮らす親と、あと何回元気に会えるんだろう。とふと思うことがある。」と言っていた。なんだか忘れられずにいたのは、まだ自分の未来を自由に選びやすい20代に、きっとこういう今がくる可能性があるかもしれないと、思っていたからなのかもしれないな。

こんなに切ない話を聞きながらも、少なからず都会に憧れを抱いて、新しい仕事に就きたいと思っていたわたしは、もしかするととても薄情かもしれない。

だからこそ、選んでここにでてきたのだということ、忘れずに過ごしていきたいと思うのでした。