新緑の山での妄想、そして感謝。
五月晴れの休日、山に行った。
新緑がきれい。風が気持ちいい。
そう感じ、ふと、読書好きの友人を思う。
年間300冊の本を読む彼女は、この景色を、どんな美しい言葉で表現するのだろうか。
考えてみたけれど・・
私の乏しい語彙力では、きれい。さわやか くらいしか思いつかない。
彼女はきっと、この独特な色を表現する日本語を知っているだろう。
難しい漢字で、私には読めないだろう。でも彼女は、字の美しさ、響きの美しさと色を重ねて、何倍にも美しく感じ取るのだろう。
何百年も前、この木々たちが、まだ若い頃に見ていた景色が見えるのだろう。
当時の生活の空気感、匂い、人々の息遣い、着物の質感まで感じるだろう。
その山がなんという山で、
その木はなんという名前か、どんな由来か、もちろん知っているだろう。存在をそのまま讃えるだろう。
山や木や草花のエネルギーを感じ、受け取るだろう。
だって、理解しあっているから。
もしそこに、小さな子供がいたら、
物語を即興で作って、語ってあげるだろう。
その物語は、その子の心にずっと残り続けるだろう。
・・・ここまで妄想したその夜、
彼女の投稿がさらっとあった。
偶然にも、山に行ったらしい。
これは・・・
想像してもしきれない
字面まで美しい文章。
私の中に、山の風景が、どぅわ~~ と押し寄せて来た。
そう。そうなのだ。あれは力強さ。冬を越したからこその。耀き。
一語一語、直球で心に入ってきて泣けた。
知識が深いって、なんという豊かな世界だろうか。
同じものを見たとしても、
何百倍も繊細に感じ、
それを表現出来る言葉を持っているって素晴らしい。
そしてありがたい。
彼女にしてみたら当たり前すぎて、
気づいていないのだけれど。
私には、彼女に素晴らしさを伝える語彙力がない。
ただただ、ありがとうと思う。
引用原文はこちらからお読みください。
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