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リーマンショックで儲けた話 その5~米国からあの国へ出稼ぎに

さて、儲けた話は一体いつ始まるんだよと思った皆さん。
ここからです!

これがシリーズの始まり

2005年に東海岸のハウジングバブルの沈静化は始まっていましたが、西海岸はここからが本番でした。バブルってそういうもんなんでしょうけれど、「あれオカシイよね?」ってなってからも、まだ数年続くんですよね。破綻まで急に止まれない。日本のバブルの有様を眺めて来た団塊ジュニアの私はイライラで悶えていました。このまま待っていたら、子供産める時期を逃しそう。

そこで上司にパートに切り替えるオプションはありなのか聞いてみました。産休が超短い国ですからね。そして0歳託児所なんて奪い合いでしたし、当時でさえ相場は月15万円くらいと言われていましたので、夫の母に手伝ってもらいつつ私がパートくらいに切り替えた方が、精神的にも経済的にも家族のためにもバランス取れるって判断したんですよ。

「そうは言ってもトイレで乳絞りながら仕事になるんだぜ。この男ばっかの建設会社で」とは言い出しづらい。こういうとこなんですよね。経済中心でしか見ない世の中が気が付かない部分。(今はババアだから割とストレートに言うけど。笑)

住宅価格も家賃もまだ高止まり…もうダメか。
ダメダメだ~!ワ~ン!オワタ~!

そんな2006年(31歳)のある日の事。

ハイ?

突然の夫の東京転勤!?

ハアアアアアアア???????
私がこの6年間、移民としてアメリカでどんだけ苦労してここまで来たと思ってんの!?

また大ゲンカ。もうね。今回は離婚も考えるレベル。だって私のビザ台無しになるからね。もう壁に頭を打ち付けて、枕に叫ぶレベル。笑

一方、オット君の方はですね。
自分なりに対策を考えた結果、日本で会社員として働いてみたいという夢も併せ、密かに会社で希望を出していたらしいんです。この前回の件で追い込まれていたから。

私のせいだった!笑

そこで内容を聞くと、

今よりも少し良い仕事やらせてもらえるし給料も上がる。引っ越し代と落ち着くまでの居住費も出してもらえる。駐在では無く現地に雇われる形になるので、そこからは自分たち持ちだが、日本だから交通費やら福利厚生や医療費も悪くない。給料は円になるけど。
あれ?悪くない?

あれ?

でも私にとっては、日本イコール

1.女性に夢が無い。
2.見た目差別が酷い。平気で口にする。
3.しかも性的被害に合う。
4.年齢差別も酷い。
5.受験一辺倒の教育。
6.大企業に巻かれて生きるが勝ちの価値観。
7.なのでスタートアップも夢が無い。
8.私の世代は人口多すぎて何やっても競争激しい。
9.だからと言って勝ち取ろうとすると叩かれる。嫌われる。
10.家が狭くて寒い。そして密集しすぎて私のような騒音出し気味の人は生活しづらい。

東京は上の問題が輪をかけて酷いが、ここに一極集中している。自分は生まれ育ってしまったから必死で脱出したのに…

ふざけんな!

でも…米国はどうなんだい?

…あれ?


続く!

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